第5回 ナショナルミニマムとしての生活保護基準
森川清氏
[首都圏生活保護支援法律家ネットワーク事務局長 弁護士]
生活保護基準の引き下げが及ぼす広範な影響
生活保護に関しては、多くの国民(本当は市民という言葉を使いたいところなのだが)に知られていない事実がある。生活保護基準というものが、住民税や最低賃金などをはじめとするさまざまな国の定めの指標になっているという事実である。
たとえば改正最低賃金法(2008年7月1日施行)は、地域別最低賃金を決定する場合、「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に関わる施策との整合性に配慮するものとする」(同法9条3項)としており、生活保護基準が引き下げられると最低賃金も引き下げられることになる。それは当然、労働市場全体に大きな影響を与える。
また、住民税の非課税基準なども生活保護基準の影響を受ける。住民税の非課税は、応能負担となっているさまざまな公共サービスの負担の基準になっていることから、その影響は大きい。その他、就学援助制度なども生活保護基準とリンクしているし、国民健康保険料(税)の減免基準や公営住宅の家賃減免等の基準に生活保護基準が参酌されることもある。
つまり、生活保護基準というのはナショナルミニマム(国家が国民に対して保障する生活の最低水準)の機能を持つものであり、その引き下げや引き上げは保護を利用していない多数の人々――とくに生活困窮者全般に大きな影響を及ぼすのである。
「弱い者がさらに弱い者を叩く」構図の不毛
具体的な事例を考えてみよう。たとえば生活保護基準において毎月の支給額が12万円だったとする。そのとき、それに5千円足りない11万5千円の収入を得ている労働者はどう行動するか。おそらく、月5千円の収入増を目当てに生活保護を申請することはないだろう。
このコラムで再三強調しているように生活保護受給にはスティグマがともなうし、各種手続きも煩雑だからだ。したがって、彼は5千円分切り詰めて生活しようと考えるだろうが、彼の目には生活保護受給者が「いい暮らし」をしているように映るかもしれない。生活保護基準が引き下げられたという事実を「ざまあみろ」と思うかもしれない。
しかし、実際に生活保護基準が彼の収入の11万5千円を下回る11万円にまで引き下げられたとすると、彼の生活にはどういう影響が及ぶだろうか。生活保護基準以下ということで非課税だった11万5千円の収入が、課税対象となる可能性が出てくる。さらに、さまざまな公共サービスの負担が増え、結果、彼の実収入は11万円を割り込んでしまうことにもなる。つまり、生活保護基準の引き下げが、彼の可処分所得を減らしてしまうわけだ。
現在の生活保護バッシングには、「弱い者がさらに弱い者を叩く」という構図がある。実際、「ナマポ憎し」の感情を持つ人々の間では、先に例に取った11万5千円の収入を得ている労働者のように、生活保護基準近辺の収入で暮らしている人々が多い。そして、生活保護基準の切り下げの影響を最も強く受けてしまうのは、実はその層の人々なのだ。
前回のコラムで、「生活保護バッシングに走る人々は、実は自らの首を絞めている」と書いたのはそういう意味である。生活保護基準はナショナルミニマムの機能を持つ――そのことをよく理解していただきたいところだ。
>>第1回 生存権とは何か
>>第2回 ミーンズテストという通過儀礼
>>第3回 いまに生きる「劣等処遇原則」
>>第4回 吹き荒れる生活保護バッシングについて
>>第5回 ナショナルミニマムとしての生活保護基準
>>第6回 福祉事務所による違法行為はなぜ生じるのか
森川清(もりかわ・きよし):葛飾区福祉事務所でケースワーカーとして勤務の後、弁護士へ。日弁連貧困問題対策本部運営委員、東京災害支援ネット代表等も務める。著書に「改正生活保護法 新版・権利としての生活保護法」(あけび書房刊)などがある。