第2回 ミーンズテストという通過儀礼
森川清氏
[首都圏生活保護支援法律家ネットワーク事務局長 弁護士]
容赦なく暴かれるプライバシー
前回のコラムで、「(スティグマ(恥辱の烙印)の問題というのは)理論的にそれを脱構築すれば、それできれいになくなるわけでもない」と書いた。なぜか。生活保護の利用に際しては、スティグマを与えられざるを得ないような、さまざまな通過儀礼があるからだ。その代表が「厳格なミーンズテスト(資力調査)」である。
厳格なミーンズテストは他の社会保障にはない、生活保護に特有の制度である。説明しよう。申請者は福祉事務所のケースワーカーに保有する現金・預貯金などの資産の額・内容を事細かに調査される。具体的に言うと、たとえば預金通帳を所持している者は、直近までの金銭の出し入れを記帳の上、そのコピーの提出を求められる。さらに、扶養義務者である親族に援助できないかと照会されたりもする。そうして、申請者の保有する資産・収入の額が厚生労働大臣の定める基準生活費であることが確認されて初めて、申請者は生活保護の利用を認められるのだ。
いうまでもなく、ミーンズテストは申請者のプライバシーに深く立ち入るものである。したがって、個人の尊厳や人格を傷つける危険性が高い。そのため、この厳格なミーンズテストを忌避して生活保護を申請しないという選択をする要保護者も多い。
また、ミーンズテストによって保有する資産が基準生活費にも満たないと認定されることは、「貧しい者」としての烙印を押されるに等しい。言い換えると、自力で生活をファイナンス出来る者とそうでない者を分断するという、差別的状況を作ってしまうのだ。これが、理論だけではスティグマを払拭しきれないゆえんである。
自助の観点から一定の資産保有を認める
では、生活保護受給者がスティグマを与えられるのは、やはり不可避と言うしかないのか。いや、手立てはあるのだ。一つの鍵となるのは、ミーンズテストの厳格性を緩和することである。たとえば、現行の制度では申請者に保有が認められる手持金は厚生労働大臣の定める基準生活費の二分の一までであるが、たとえばこれを基準生活費の二か月分ぐらいまで認めるというように、手持金保有基準を緩やかなものにするのだ。この提案には、正当性がある。なぜなら、生活保護法1条にあるように、生活保護制度の目的は「最低生活保障」と「自立助長」の二本立てだからだ。したがって、保護利用者の自立助長のために一定の資産の保有を認めることには、十分な説得力があるのである。
また、保有資産に関してもう一つ言うと、車の所有の問題がある。交通網の発達した首都圏に在住していると想像し難いかもしれないが、地方では車がないと生活が成り立たない地域も多い。しかるに、現行の生活保護制度の運用では、車の所有は一部障害者には特例として認められているものの、原則として保護利用者には認められない状況にある。これに関しては障害者でも認められない事例で多くの裁判例もあるが、本来、生活必需品というべき物の保有を認めないというのは、ある意味、違法な取扱いであり、すぐさま改めてしかるべきだろう。
そのようにミーンズテストの厳格性を緩和すると同時に、重要なのが制度を運用する側の福祉事務所、就中、ケースワーカーの問題である。ケースワーカーが無知や偏見ゆえに間違った制度運営をしてしまい、結果、申請者や被保護者にスティグマを与えてしまう事例は極めて多い。これに関しては、ソーシャルワーク教育を徹底することで、個々のワーカーにきちんとした専門性を身につけてもらうしかない。
以上、スティグマを払拭するための具体的な手立てを書いてきた。しかし──私には忸怩たる思いがあるのだが──実際には事はそう簡単には運ばないのが実情。いや、むしろ最近の生活保護バッシングなどを見るにつけ、現実的にはスティグマをさらに強化する方向に事態が動いてしまう懸念すらある。だが、このことについては、また稿を改めて詳述することにしたい。
>>第1回 生存権とは何か
>>第2回 ミーンズテストという通過儀礼
>>第3回 いまに生きる「劣等処遇原則」
>>第4回 吹き荒れる生活保護バッシングについて
>>第5回 ナショナルミニマムとしての生活保護基準
>>第6回 福祉事務所による違法行為はなぜ生じるのか
森川清(もりかわ・きよし):葛飾区福祉事務所でケースワーカーとして勤務の後、弁護士へ。日弁連貧困問題対策本部運営委員、東京災害支援ネット代表等も務める。著書に「改正生活保護法 新版・権利としての生活保護法」(あけび書房刊)などがある。