精神科病院大国日本に、
今こそ心のバリアフリーを
ますみゆたか氏
[にじのこころ代表]
今なお尾を引く「ライシャワー事件」の衝撃
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、様々な場所でバリアフリー化が進められています。
首相官邸からも「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて ~2020年とその先へ~」の中で、
『物理的障壁や情報の障壁を除去 ユニバーサルデザインの街づくり』という項目で
・建築設計標準を改正(ホテル・旅館の客室、トイレ、浴室のバリアフリー化等)
・交通バリアフリー基準・ガイドラインを改正(駅等のバリアフリー化等) 等
このように取り組みが書かれています。
また今月1日からは障害者雇用義務の対象に精神障害者が加わるなど
少しずつ障害に対して社会の理解が進むかのように思えた同じ月、ある事件が起こりました。
今月7日、兵庫県三田市で障害のある長男を自宅の敷地内の檻に閉じ込めたとして、父親が逮捕される事件がありました。20年以上監禁され腰は曲がり、片目は失明しもう一方の目もほぼ見えない状態だったようです。数年前に妻が市に相談に行ったと供述している事がわかりましたが、窓口相談に留まっていたのか対応した記録は残っていないようです。
先に書いた「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて ~2020年とその先へ~」では、他に『人々の心にある障壁を除去 心のバリアフリー』として以下のように取り組みが書かれています。
・2020年以降順次実施される学習指導要領改訂において「心のバリアフリー」に関する理解を深めるため指導や教科書等を充実
・障害に対する理解を深め、障害のある人等とのコミュニケーションについて分かりやすく学ぶための取組を推進
・接遇を行う業界(交通、観光、流通、外食等)における全国共通の接遇マニュアルの作成・普及 等
しかし三田市の監禁事件のニュースがあった事もあり、見た目でわかりづらい障害についても正しく知ってもらう取り組みをするのか気になっています。
また、障害がある事で今まで差別や偏見にさらされて傷ついた人達、相談をするも行政のずさんな対応に多くの事を諦めてしまった人達、そして監禁や入院のように社会から存在しないのように扱われた人達の事まで伝えなければいけないと思います。
昨年末にも大阪府の寝屋川市で、両親が子供を長期間にわたって隔離部屋で監禁し凍死させた事件がありました。
精神障害者は何をするかわからないので危ない、人に知られては恥ずかしいというイメージが今もなお根底に流れているため、当事者やその家族が障害である事を言い出せなくなり、それによって障害者も同じ世界に生きているという事が見えなくなります。すると障害者と社会との溝が深くなり、さらに障害について言えなくなるという悪循環が、今まさに起こっています。
2020年が近づく中でこうした精神障害への差別で思い起こすのは、前回の東京オリンピックを目前に起こった「ライシャワー事件」です。
1964年にライシャワー駐日アメリカ大使が、統合失調症を患っていた当時19歳の少年にナイフで大腿を刺され重傷を負ったという事件がありました。この事件は連日新聞等で取り上げられ、精神障害者を野放しにしてはいけないという流れが強まり、危険な存在を隔離しようという流れになりました。これにより隔離するような形の精神医療へと再び流れが変わってしまい、1960年に9万床であった精神病床が、1970年には25万床へと大幅に増加しました。
しかしこうした事は決して過去の出来事ではなく、前回の東京五輪開催から時が経ち、街並みが整備され、正しい知識や情報を得られる機会も増え、治療薬や医療技術が進歩した現在でもなお、寝屋川市や三田市のような監禁という恐ろしい事が起こっているのです。
今でもまだ精神障害への理解がある世の中とは言えない状態ですが、今回の寝屋川市や三田市の監禁が始まった10年や20年も前となるとより偏見があって、行政の対応も十分ではなく、そうした不信感もこうした悲劇を招いたのではないでしょうか。
また精神障害についての報道に対して、その内容が伝えきれずただ恐怖だけを与えているような気がします。今回の監禁についても、衝撃的な事件だったので一時はテレビや新聞などで伝えられていましたが、日々起こる様々な事件に埋没してしまった感じが否めません。
ライシャワー事件の時は「異常」「野放しにするな」などの見出しで人々を焚きつけたものが、困難や生きづらさ、社会の問題についてはさほど掘り下げることなく終わり忘れ去られていく事が、差別や偏見と同様にとても恐ろしい事だと感じました。
「レガシー(遺産)」には「時代遅れ」という意味もある
様々な問題がいまだに残っているこの2018年、そして東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年は精神医療に関して節目の年です。
今年は「クラーク勧告」宣告から50年です。
1968年に世界保健機関がイギリスで精神医療改革で実績を上げたクラーク氏を日本へ派遣し、精神病院の病床が増える事について勧告をしましたが、日本はこれを無視する形を取りその結果多くの長期入院を生み出す事となります。
そして再び東京で五輪が開催される2020年。この年は1900年に帝国議会で精神病者監護法が制定されてから120年です。
これは日本で初めての精神障害者に関する法律ですが、その目的は精神障害者の自宅監禁を「私宅監置」として合法化したものです。国が精神障害を恥ずべきものであるかのように扱い、閉じ込め見えないようにして社会的に亡き者にするという事を認めた恐ろしい出来事です。
それから長い時が経ち1950年に精神衛生法が成立、2020年にちょうど60年となります。
私宅監置は禁止となりましたが、先に書いた三田市や寝屋川市のように現在でも実は監禁が行われている状態です。もしかしたら他にも監禁が続き、オリンピックやパラリンピックが日本で開催される事さえも知らず、閉じ込められている人がまだいる気がしてならないのです。
五輪を開催するこの国は精神科病院大国でもあり、世界の病床のおよそ2割が集中している状態です。監禁と言う言葉ではないにしても、数十年も病院で過ごす人が多くいる現状について国連や世界保健機関などから「深刻な人権侵害」と勧告を受けています。
オリンピック憲章には「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」という事が書かれています。
先進国の中でも相対的貧困率や自殺率が高いこの国で、人間の尊厳を考えるためには、まず最初に書いた「心のバリアフリー」にしっかりと取り組まなければいけません。様々な事が2020年の五輪を理由に動いていくのが恐ろしい部分もありますが、この2020年が障害について学び、障害と共に生きていく世の中にする大きな機会だと思います。
開催にあたり多くの政治家が「レガシー(遺産)」という言葉を使っています。特に行政などでは次の世代へ遺す公共施設的な意味で使われますが、レガシーには「時代遅れ」という意味もあります。
人権侵害が続き、監禁などでも対応が不十分な日本の社会、行政の対応を示すダブルミーニングなのかもしれません。
ますみゆたか
セクシュアルマイノリティと精神疾患の自助グループ「にじのこころ」代表
見た目でわからない生きづらさを抱える人達の繋がる場を作る活動をしている。
最近の心のテーマは「しずかに、しぶとく、しなやかに。」