Road to the Paralympics Tokyo
[第2回]

花岡伸和氏

[一般社団法人日本パラ陸上競技連盟 副理事長]

 

第2回 車いすマラソンとの出会い

花岡伸和
>>第1回 私の原点

「障害」に心囚われることなく生きるには

前回のコラムで書いた通り、大変な事故に遭い、下半身不随となってしまった私だが、多くの友人や先生、家族に支えられて翌年、同級生たちと共に高校を卒業することができた。

その後は入院でのリハビリを続け、退院後は運転免許を取得、就職のために公務員受験の専門学校に半年間通った。退院時にはケースワーカーに職業訓練校に進むか、他の道を選ぶかの選択を迫られたのだが、そのときの私には「障害者の学校」に進むことへの心理的抵抗があった。そのため、民間の専門学校を選び、進学したわけだ。

しかし、民間の専門学校を選んだはいいが、それからが大変だった。私は持前の楽天主義で「なんとかなるだろう」と考えていたのだが、当時はノーマライゼーションの思想やバリアフリーの概念がようやく世に現れるようになった時代。当然、学校には車いす用の設備などなく、校内を移動するにも、トイレで用を足すにも、大変な困難がともなった。また、学校には車で通っていたのだが、近くには駐車できるパーキングさえなかった。そのため、警察発行の許可証を使って路上駐車をしていた。

いま振り返ると「よくやったものだな」と思うのだが、設備が整っていない環境で生活した体験は、その後の私の人生にとって大きな糧となったと考えている。もし私が車いす用の設備が整った学校に進学していたとしたら、設備がないならないなりに工夫して自力でなんとかするという形での「成長」は、私にもたらされなかったと思う。設備がないなかで自分なりに工夫して生活する──それもまた、そのときの私にとってちょうど良いハードル=目標だったのだ。私の人生では、そのように努力すればなんとか超えることのできるハードルというものが、実に良いタイミングで次々と目の前に現れてきた気がする。ラッキーだったと思わざるを得ない。

私はそのようにして、本当に少しずつ前に進んできたのだが、障害者の中には自身の「障害」に囚われてしまい、一歩も前に進めなくなってしまっている人も多いように思う。月並みなようだが、私はこう考える。「障害」に心囚われずに生きるには、やはり、そのときどきで小さな目標を見つけ、それを最大限の努力で超えていくしかない。たとえ小さな一歩であったとしても、自らの努力で前に進むという体験を繰り返すことにより、確実に成長の軌道に乗っていけると思うのだ。

そして、もう一つ思うのは、他人や過去の自分と現在の自分を比較しないことである。昔はあれもこれもできたのに、今はなにもできない──そのように比較してしまうと、どうしても苦しい人生を送ることになってしまう。ただ、「比較するな」と言葉で言うのは簡単だが、人によってはそれが非常に難しい作業であることはわかる。自分のことを話すと、幸か不幸か私は事故に遭う前の自分というものが好きではなかった。人生に何の目標も見いだせず、ただ漫然と時を過ごしていた自分が嫌いだった。だから、過去の自分を想起して「昔はよかった」と思うことがまったくないのである。はっきり言おう。事故を起こす前と後の人生を比較すると、私は三対七で「その後」の人生の方が良かったと考えている。少なくとも、人生に確たる目標を見つけた今の自分の方が、昔の自分よりはるかに好きだ。

もっとも、そのように言えるのは、私がその時々で自分なりの目標を見つけ、それをクリアするために努力を重ねてきたからこそだと思う。もし、私が車いす生活になった後、なにもしていなかったとしたら、やはり「あの事故さえなければ」という思いに囚われていたかもしれない。その意味では、車いすマラソンという競技に出会えたこともまた、私にとっては大きな幸運であったといえる。

挑戦することの価値は、障害があってもなくても同じ

車いすで陸上競技やバスケットボールなどの球技をしている人たちがいることは、知識としては知っていた。もともと体を動かすことの好きだった私は、車いす生活となってすぐに、なにかスポーツをやろうと思い立った。車いすマラソンを選んだのは、球技があまり得意でなかったという単純な理由による。私は、この競技をなめていた。「障害者のやるスポーツだから簡単だろう」「体力さえあれば早く走れるだろう」──そんな風に考えていたのである。

実際にはじめてみて、思い知った。とにかく、四輪の生活用車いすから三輪の競技用車いすに乗り移ることすら、自力ではできないのだ。先輩たちに体を持ち上げてもらい、座席に詰め込んでもらわなければ競技用車いすには乗り込めなかった。また、最初のうちは車輪を転がしてもまっすぐ前には進めない。三回漕いではハンドルを切ってバランスを取り──そんな具合である。風を切ってびゅんびゅん飛ばしていく先輩たちの姿が実に格好よく見えた。「ああなりたい」と心から思った。

しかし、私はすぐにこの競技にハマった。生活用の車いすでは出せないスピードが、やはり競技用車いすでは出せる。スピード感が心地よかった。風を受けるのが気持ちよかった。私は超初心者の身で、「この競技でパラリンピックに出場する」と宣言した。いや、正確に言うと、そのことは車いすマラソンをはじめる前から口にしていた。「自分にはこれしかない」──そんな思い込みを持って、私は競技者生活をスタートさせたのである。

車いすマラソンという競技を通して、私はさまざまなことを学んだ。なかでも私にとって最大の「学び」となったのは、人との出会いである。そう、私はこの競技を通して数々の魅力的な人々に出会った。その最初の一人が、初心者の私を指導してくれた山口悟志さんだ。山口さんはソウル・バルセロナの両パラリンピックに出場したトップアスリートで、年齢は私より二回り上だった。昔気質の人で、決して優しくはないのだが、実に親身になって私を指導してくれた。山口さんと私の関係は、職人の世界でいう親方と弟子のようなそれだった。

山口さんには競技だけでなく、「人間、いかに生きるべきか」ということを教わったと思う。私はその頃、地元の福祉公社に就職し、社会人として仕事をしはじめていたのだが、山口さんの元で修業する中で、仕事では学べないことをたくさん学んだ。たとえば、「短所を改めるより、長所を伸ばした方がいい」というテーゼもその一つだ。仕事の場では上意下達の中で、どうしても苦手なことや嫌いなこともやらなければならない。しかし、スポーツの世界では苦手なこと・嫌いなことに取り組むより、得意とする部分を伸ばす方がはるかに有効なのである。これは、人間としての成長を考える上でも重要だ。人間は短所を懸命に直そうとするより、長所を伸ばす方がよりよく成長できる生き物だと思う。

また、もう一つ重要な学びを挙げるとするならば、「挑戦することの価値は障害があってもなくても同じ」ということだろうか。障害者スポーツの世界では、障害の軽重によってできる範囲というものが変わってくる。しかし、重度障害者で、できる範囲がごく限られているとしても、その範囲の中でトライすることの価値は、健常者のスポーツとなんら変わりはないと私は思う。

もちろん、スポーツには結果がつきものであり、それは状況に応じて変わってくる。しかし、挑戦することの価値自体に変わりはない。結果は結果でしかない。それより、そこに至るまでのプロセスで「何をしたか」の方がずっと大切である。私は今、若い陸上選手を指導する立場にあるが、選手というのは得てして結果を求めがちだ。これこれのレースで優勝したい、これぐらいのタイムで走りたいetc。そうではなく、プロセスが大切なのだということを私は口を酸っぱくして言うのだが、若い人にはなかなかうまく通じないところもあって、悩ましいところだ。

常に挑戦することを忘れず、プロセスを大事にしていれば、結果は自ずとついてくる。これは障害者・健常者を問わず、スポーツ全般に当てはまる真理であると、私は思っている。

 

花岡伸和

アテネパラリンピック(2004年)の車いすマラソンで6位、ロンドン(12年)で5位に入賞した車いす陸上の国内トップアスリートが花岡伸和氏。マラソンを引退後は後進の指導に力を入れる一方、手でペダルをこぐ自転車「ハンドサイクル」に転向し、同競技での東京パラリンピック(20年)出場を目指している。

 

>>第1回 私の原点
>>第2回 車いすマラソンとの出会い
>>第3回 転機となったアメリカ体験
>>第4回 パラリンピックへの道(1)


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