Road to the Paralympics Tokyo
[第1回]

花岡伸和氏

[一般社団法人日本パラ陸上競技連盟 副理事長]

 

第1回 私の原点

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アテネパラリンピック(2004年)の車いすマラソンで6位、ロンドン(12年)で5位に入賞した車いす陸上の国内トップアスリートが花岡伸和氏。マラソンを引退後は後進の指導に力を入れる一方、手でペダルをこぐ自転車「ハンドサイクル」に転向し、同競技での東京パラリンピック(20年)出場を目指している。
このコラムでは自身の半生を振り返り、障害者スポーツの魅力を語りつつ、障害者の生き方への提言をなし、東京パラリンピックまでの道のりを展望する。

障害者であることはスポーツの本質とは無関係

私は陸上競技の選手である。車いすマラソンという競技でアテネ・ロンドンの両パラリンピックに出場し、いまはハンドサイクルという競技で2020年の東京パラリンピックを目指している。

過去に出場したパラリンピックでは、アテネでは6位、ロンドンでは5位と、幸いにも入賞することができた。そうした実績を考慮するならば、少々口はばったい言い方ではあるが、自分を日本でもトップアスリートの一人と位置付けても許されるのではないかと思う。トップアスリートであるからこそ、報道機関の取材を受ける機会もたびたびある。

メディアに取り上げられることは正直、嬉しいことであるし、ありがたいことだと思っている。だが、同時に、日本の報道機関から取材を受けるとき、しばしばとまどいを感じてしまうのもまた事実である。

それは、多くの取材者が、私に自身の「物語」を語ることを求めてくるからだ。つまり、障害を乗り越えて現在の地位を築くまでの、克服のストーリーである。

ここで一般的なスポーツ報道というものを考えてみよう。その選手が~という大会でしかじかの成績を収め、記録はこういうものであったという客観報道がまずあり、大会を振り返ってのコメントが選手に求められる──これが最も一般的なスポーツ報道のフォーマットだろう。しかし、多くのスポーツ記者が私に求めてくるものは違う。なぜか。答えは簡単だ。私が脊髄損傷の身体障害者だからである。もう少し突っ込んだ言い方をすると、日本では障害者スポーツが純粋なスポーツとして認知されていない部分が、まだまだあるということだ。

私は現在、日本パラ陸上競技連盟という団体の普及・振興委員長も務めている。いわば、障害者スポーツを日本に普及させる役割も担っているわけだ。その立場から言わせていただくと、現在のメディアの障害者スポーツの取り上げ方には、若干の違和感を覚えずにはいられない。それが障害者のスポーツであるというだけで、どこかスポーツの本質からずれた扱いを受けてしまう──メディアに多く取り上げられることは言うまでもなく私たちにとって大きなプラスであるが、取り上げ方によっては、むしろマイナスの影響が現れてしまうこともある。そう、私たちは見てくださる方々に、障害者スポーツを純粋なスポーツとして楽しんでいただきたいのだ。

もちろん、それが社会的な報道である場合には話は別なのだが、スポーツ報道には障害克服のドラマなどいらないのではないか。これは私の知る限り、多くのアスリートに共通する意見である。私は現在では過去の出来事も含めてアスリートとしての自分の「今」があると考えている。したがって、自分の物語を語ることにさしたる抵抗はない。しかし、選手によっては過去のことは一切、話したがらない者もいる。最近はかなり状況が良い方向に変わってきてはいるが、障害者であることはスポーツの本質とは無関係であることを、多くの方々にご理解いただくことが私たちの願いだ。

しかし、障害者スポーツを純粋なスポーツとして報道していただくためには、私たちの側の責任も重大であることは自覚している。つまり、私たちの側が真に報道する価値のある人間となり、真に報道する価値のあるパフォーマンスを示さない限り、現在の報道のあり方に異を唱える権利はないということだ。スポーツの本質論ともかかわることだが、その辺、はき違えてはいけないところだと思っている。

さて、以上のことを前提として、私はこのコラムでは自分のことを──過去の出来事も含めて──何一つ包み隠さず語ろうと思う。なぜ、そうするのか。このサイトが「障害当事者とその家族のための」メディアであるからだ。私のささやかな体験が、同じような境遇にある障害当事者の方々にとって、何らかの参考になればと願うからである。私の物語にどれほどの価値があるのかは、正直、わからない。ただ、それをできるだけ率直に語ることによって、「ああ、こういう考え方や生き方もあるんだ」と、わずかでも共感していただけたらこれ以上の喜びはない。

では、物語をはじめよう。1993(平成5)年11月3日──奇しくも文化の日でもあるこの日、私の人生にとって大きなターニングポイントとなる出来事が生じた。

目の前の小さな目標をクリアする
  ──すべてはその積み重ね

その日、私は友人とオートバイで地元・大阪の峠道を「攻めて」いた。当時、私は卒業を目前に控えた高校3年生。卒業後の進路を決めるべき重要な時期であるにもかかわらず、私には進学や就職といった明確なビジョンはなく、ただ漫然とアルバイトとバイクに自分の時間を費やしていた。そして、事故は起こった。いや、私が「起こした」と言うべきか。

 

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バイクで転倒した私はガードレールに激突、そのまま数メートル下の崖に転がり落ちた。頭と背中を強く打った。意識はあった。自力で立ち上がろうとしたものの、体がぐらぐらで、どうしても立ち上がることができないことを知った。そのとき、私の脳裏に好きだったあるオートバイレーサーの事例が浮かんだ。私と同じく脊髄を損傷した彼も、事故直後、自力で起き上がることができなかったという。そのことを思い出し、「ああ、俺もやってもうたな」と思った。

そのまま救急車で運ばれ、即入院となった。結果的に、私は胸椎十番での脊髄損傷であったわけだが、医者からの明確な告知はなかった。ただ、私には「まあ、無理だろうな」という予感はあった。周りの人間も「大丈夫、絶対治る」というような空念仏は言わなかった。結果的に、それが良かった。治ると信じていたのに「あなたはもう、一生自力では歩けません」と崖から突き落とされるような過酷な体験を、私は持つことがなかったのである。

私は医者に自分の置かれた状況について知りたいと言った。彼は、私に一冊の本を手渡してくれた。その名も「脊髄損傷」というタイトルの翻訳書で、当時、その分野では最先端の知見を集めた名著だった。脊髄損傷にともなう症状などの医学的解説から、脊髄損傷者の生活面や精神面などについても網羅された、私にとっては格好の指南書だった。同書の解説を読むと、自分に現れている症状と照らし合わせて「もう自分は治らない」ということがよく理解できた。そして、これから先、どうやって生きていけばいいのかについて考えるきっかけを得ることもできた。

人には「脊髄損傷という事実を知って、絶望にとらわれませんでしたか?」とよく聞かれる。だが、私には絶望感はなかった。「やってもうたものはしゃーない」──そんな心境だった。その辺の考え方は、破天荒に生きた祖父と、きわめて楽天的な母親の影響を受けつつ形成された私の性格による部分が大きいだろう。もちろん、さまざまな不安はあった。ただ、それ以上に私の心を大きく占めていたのは「生きなければならない」ということだった。死んでもおかしくないような事故を起こしたのに、私はまだ生きている。そうである以上、這いつくばってでも生き延びなければならない──私が胸中、考えていたのは、そのことだけだった。

さて、入院中の出来事で、今でも忘れられないエピソードがある。ある意味、現在に至る私の原点となった出来事だった。

事故から約一か月が経ち、ようやく点滴がはずれて口からモノを入れられる状態になったときのことだった。私はまだ上半身も満足に動かせない状態だった。食事時、ヘルパーさんがやってきて菜をスプーンで私の口元に運び、食べさせようとしてくれたのだ。ショックだった。「お前はメシも自分で食えない人間になったんだ」と言われたような気がした。私は「自分で食べると」宣言した。自分でスプーンを手にし、菜をすくった。しかし、体も起こせず、手も満足に動かせないため、なかなかうまくいかない。どうしてもポロポロとこぼしてしまう。それでも、あきらめなかった。手鏡を持ってきてもらい、口元を鏡に映しながら、何度も何度もトライした。そして、最終的に、私は自分の力でモノを食べることができたのである。

これが、トップアスリートとなった現在に至る、私のスタートラインだった。つまり、その時々で自分にとってちょうど良い、努力すれば何とか超えられるハードル=目標を設定し、トライ&エラーを重ねながらそれをクリアしていくこと。アスリートとしての私の日々は、今でもそのことの繰り返しである。

その時々で自分にとってちょうど良い目標を設定し、トライ&エラーを重ねながらそれをクリアしていくこと──これは、障害者に限らず、アスリートに限らず、すべての人が前に進んでいくための、最善の方法論だと私は考えている。

 

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>>第1回 私の原点
>>第2回 車いすマラソンとの出会い
>>第3回 転機となったアメリカ体験
>>第4回 パラリンピックへの道(1)


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