[NHK「バリバラ」に迫る!]
本当の意味での共生社会を目指す上で正解はない
だからこそ考え続けねばならない

日比野和雅氏

[NHKプラネット近畿総支社 番組制作センター統括部長]

日比野和雅

いま最も過激なバラエティ番組といわれるバリバラ(バリアフリー・バラエティ)。障害者たちが“笑い”を武器に世間に流布するステレオタイプの障害者観を粉砕していく痛快きわまる番組だ。その生みの親が同番組前プロデューサーの日比野和雅氏。障害者をめぐる状況に大きな一石を投じた同氏にバリバラ誕生秘話から障害者の多様性を覆い隠す教育の問題、タブーと差別の問題まで、幅広く語っていただいた。

聞き手:桐谷匠(D.culture編集部)
番組写真提供:NHK

バリバラ
日比野氏はバリバラを担当する前に正統的な福祉のドキュメンタリー番組「きらっといきる」のプロデューサーを務めていた。その中で感じていた違和感が、バリバラを生み出す原動力となったという。バリバラのコンセプトを明らかにするためには、まずそこから語り起こしていただかなければならない。

日比野 「きらっといきる」というのは、障害者の福祉番組でありながら視聴者のほとんどが健常者という番組だったのです。障害者のドキュメンタリーを見た健常者から「感動しました」「勇気をもらいました」という反応をもらう。番組が健常者に勇気を与えるものになってしまっている。そこがわれわれの大きなジレンマでした。そんな中、一視聴者から「番組は障害当事者の“ありのまま”を描いていない」「がんばっている障害者しか番組に出ていない」という意見が寄せられたのです。そこから当事者のありのままを描くとはどういうことかという検証がはじまったのですね。

そこで、障害当事者がさまざまな問題を乗り越えて何かを達成する姿をクローズアップするのではなく、もっと当事者が日常生活で困っていることに目を向けていくスタイルに改革していこうということになった。しかし、ドキュメンタリーの手法を使うと、それもなかなかうまくいかない。いかにもNHKらしい福祉番組ができあがってしまうわけです。

しかし、たとえば障害者の自立生活センターなどに取材に行くと非常に風通しがいいし、素の当事者というのは本当にユニークで面白い人が多い。そうした当事者のありのままを伝えていくためには、一度、福祉とドキュメンタリーという枠を取り払わなければならない──次第にそう考えるようになりました。そこから笑いとエンターテインメントの要素を取り入れた障害者バラエティつくるというコンセプトが生まれ、月一回のバリバラが企画としてスタートしたわけです。

──障害者をテーマとしてバラエティを作る際に、いちばん気をつけたのはどんなところですか?

日比野 laugh atとlaugh withの違い。つまり、「障害者を笑う」のか「障害者とともに笑う」のかという点です。前者は差別であり、絶対にやってはならないこと。ただし、私たちには福祉番組を長らく制作してきた経緯がありますから、何が差別につながるかは明確に理解している。そこにさえ気をつければ障害者のバラエティ番組をつくってはいけない理由はどこにもないはず。そういう確信はありました。

ターニングポイントとなる企画があった。「最強ヘルパー養成塾」という企画だ。これは脳性麻痺で重度の言語障害がある人の言葉を、ヘルパーを志す若者が聞き取るというクイズ企画である。滑稽な「聞き間違い」の連続に、スタジオに爆笑が起こる。見方によってはずいぶんきわどい企画といえよう。

最強ヘルパー養成塾

最強ヘルパー養成塾

 

日比野 思わず笑ってしまった視聴者の方は最初とまどうと思うのです。「うわっ、障害者を笑っちゃったよ」、と。しかし、よく見ると出題した脳性麻痺の方々もげらげら笑っている。まさしくlaugh withなわけです。それで、視聴者は安心するのですね。

この笑いには優れて批評的な側面があります。実は笑われているのは脳性麻痺の方の言葉を聞き取れない健常者の側です。つまり私たちの社会で自明のものとされているきっちりとした音声会話、健常者を中心とした標準モデルのコミュニケーションがゆさぶりにかけられている。そこから、こういうことが言えます。最近、障害の社会モデルと生物学的モデルということがいわれていますが、標準モデルからはずれた障害者の個性的なコミュニケーション、定型的ではないコミュニケーションを受け入れられないのは、実は社会の側に問題があるのではないか。私たちの社会が定型的ではないコミュニケーションを一方的に疎外しているのではないか。「きらっといきる」ではそこまでの問題提起はできなかった。それができるバラエティというのは本当にいいツールだと思いました。

──この社会には健常者中心主義というのが明らかにありますね。健常であることを至上の価値とするイズム。“笑い”というのはその価値を転倒させる大きな武器であると思います。

日比野 そうですね。そして、そこには時代の変化を感じます。かつて70~80年代には障害者が社会に何かを訴えようとすると、どうしても拳を振り上げた障害者運動というカタチを取らざるを得なかった。青い芝の会(注1)の運動などはまさしくそれですね。しかし、近年になって状況がだいぶ変わった。障害者自立支援法なども生まれましたし、インフラにおいてもバリアフリーが進んでいる。拳を振り上げて権利を認めさせようとしなくても、一定程度の権利は障害者に保障されるようになったわけです。そんな中で拳に変わって障害者が新たに手に入れた武器が“笑い”だと思います。

その“笑い”を武器にバリバラが社会に強く訴えているのが障害者の多様性だ。当たり前の話だが、障害者一人ひとりにはそれぞれ個性があり、決して一枚岩ではない。だが、世間では障害者というと「かわいそうなひとたち」「守ってあげなければならない人たち」というステレオタイプの見方がオーソライズされており、そこからはずれた障害者像はなかなか描かれないという実情がある。しかし、障害者の中には“ワル”だっているし“助平”だっている。そうした多様性を世に知らしめたことは、バリバラの最大の功績の一つである。

日比野 そこはかなり意識的にやっているところです。たとえばスタジオに招くゲスト当事者には、かならず意見の異なる人たちを混ぜる。同じ意見の人たちばかりを集めて、最後にきれいにまとめてその回の答を出すというようなことは絶対にやめよう、と。ですから「24時間テレビが大好きだ、感動の何が悪い」という障害者がいてもいいわけです(笑)。また、必ずしもポジティブな障害者ばかりである必要もない。実際、ネガティブな障害者ばかり集めて「ネガティブのつぶやき」なんていう企画もやりましたから(笑)。バラエティの利点は答を出さなくていいところ。ドキュメンタリーだとどうしても30分番組の中で起承転結をつけなければなりませんが、バラエティではそれはいらない。オニムバス的な構成の中でいろんな個性が入り乱れて、一見、混沌としているのですが、多様性はしっかり出せるのですね。

──その障害者の多様性を覆い隠してしまうものってなんなのでしょうね? バリバラが孤軍奮闘してもなかなか覆せないほど、障害者像のステレオタイプ化は強固です。

日比野 私は教育の問題がいちばん大きいと思います。たとえば人種のるつぼであるアメリカなどだと障害者のための特別養護学校のようなものも基本、あまり存在しなくて、インクルーシブが当たり前になっている。ところが、日本では分けてしまいますね。もちろん、イジメの問題などもありますし、特別支援学校をつくることのメリットはある。そこではじめて個性を発揮できる子供もいることは確かです。しかし、本来はインクルーシブの中で彼らが生き生きとできるような教育を目指すのが本筋のはずです。しかも18歳になって社会に出たら健常者と一緒に暮らす道を選択しない限り、障害者は作業所と自宅の中で人生を完結させてしまいます。そのように分けられてしまうから、健常者は障害者の多様性を知ることができないのです。玉木幸則(注2)さんは「健常者は知る権利を奪われている」とおっしゃっていますが、なるほどなあと思いますね。

日比野和雅

バリバラ

 

さて、あらためて確認しておくが、バリバラは過激な番組である。そのことを端的に示すのが、いわゆる“タブー”への挑戦だ。障害者の性の問題をはじめ、同番組はこれまで社会でタブーとされてきた領域に大胆に切り込んできた。その制作姿勢は、いったいどのような問題意識に基づくものなのだろう。

日比野 いわゆる障害者の性の問題については、これまで“ないもの”とされてきました。“ないもの”として蓋をする、隠すという行為がもっとも危険なことだと私は思っています。それは障害者の性の問題に限らず、部落問題や在日韓国・朝鮮人問題にしても同じです。なぜ蓋をする、隠す行為が危険なのか。それは蓋をしている状況が差別を生み出すからです。マジョリティの側は、蓋をすることによって自分は差別をしない人間だと勝手に思い込むことができるという構図になっている。

タブーっていったいなんだろうと思うのですよ。かつての村落共同体では、それに触れると災いが生じるような、文化的・宗教的な意味での禁忌としてあった。では、現代におけるタブーとはなにか。それは、そこに触れるとマジョリティにとって非常に面倒くさい、不都合なことが起きるという意味での禁忌なのではないか。たとえば障害者の性の問題を考え始めると当然、知的障害者や重度障害者の性の問題にも行き着きますし、それは解決し難い、きわめて難しい問題を孕む。だから私たちはそれをタブーとするわけですが、そのときにはすでに私たちは差別者なのです。

私たちは口では「障害者理解をしましょう」「他者理解をしましょう」といいます。しかし、タブーをつくるというカタチで根っこの部分では他者を差別してしまっている。ただ、差別というのは「差別をなくしましょう」などというスローガンでなくなるようなものではなくて、もっと人間の本質に関わる問題です。人間というのは誰もが知らず知らずのうちに差別をしてしまう存在なのです。だからこそ、タブーとされているものを直視し、考え続けなければならない。ただ、それは非常に辛い作業です。しかし、バリバラにはそれを“笑い”にくるんで提示することができるという強みがある。目を背けたくなるような重度障害者の性の問題なども、バリバラならふっと飛び越えることができる気がするのです。

バリバラを視聴しているとD.cultureの基本コンセプトである障害文化という言葉を思う。たとえば障害者たちが身を削った障害者ネタなどで「お笑い」の頂点を目指すSHOW-1グランプリというコンテンツ。これなどは障害というアイデンティティから発する文化そのものではないか。最後に、障害文化の可能性について訊いてみた。

SHOW-1グランプリ

SHOW-1グランプリ

 

日比野 障害文化とは、当事者が自らの障害というものがいったいどこにあるのかを目に見える形でアピールし、健常者社会に「これが障害だ」ということを訴えて、社会の側にそれを取り除くためにはどうしたらいいのかを考えさせるという、すごい力を持つものだと思うのです。SHOW-1グランプリなどはまさにそれを意識したもので、出場者たちは障害やバリアフリーをテーマに、それらをとても面白くパフォーマンスしてくれる。そこには風刺漫画や落語の世界にも通じる文明批評の要素があります。視聴者は、それによって今まで気づいていなかったことに気づいていく。あるいは考えてもみなかったことを考え始めるわけです。

バリバラの方程式ということを私は言っていて、まず「ツッコミ」がある。「ツッコミ」の後に「笑い」が生まれ、その後に視聴者に「考えさせる」。「なぜオレはここで笑ってしまったのだろうか」、と。最終的には障害者の問題を視聴者に自分の問題としてどう考えてもらうかが肝。障害者も健常者も皆が多様性を認め合い、本当の意味での共生社会を実現するためには、私たちは考えなければなりません。正解はないのです。だからこそ、考え続けることが大切なのだと、私は思っています。

いろいろな示唆に富むインタビューだったが、私的には日比野氏の差別観に深く共感した。日比野氏の言う通り、差別とは人間の根源に関わる問題であり、安易なスローガンなどでなくなるようなものではない。唐突だが、筆者はここで18世紀オランダの哲学者・スピノザの言葉を思い出す。それは「人は受動感情を超えることはできない、ただ、それについて考え続けている間だけ、そこから解放されている」というものだ。差別についても然り。私たちはそれを超えることができない。ただ、それについて考え続けている間だけは、そこから解放されている。そのことを感じ取っているからこそ、日比野氏は考え続けることをやめないのではないか。筆者は、そう思った。


[注]

  1. 注1:青い芝の会。障害者のうち、脳性麻痺者による問題提起などを目的として組織された障害者団体である。
  2. 注2 玉木幸則。日本の著述家、テレビタレント。脳性まひを持つ。障害者相談支援専門員 で2児の父。NHK・Eテレの「バリバラ〜障害者情報バラエティー〜」などに出演している。

 

日比野和雅(ひびの・かずまさ)。1964年、京都府出身。現在、NHKプラネット近畿総支社番組制作センター統括部長。1990年に入局後、数々の美術番組を制作。バリアフリーを扱った福祉情報番組「きらっといきる」の担当となる。その後「バリバラ」にて、放送文化基金賞、日本賞ノミネート、ギャラクシー賞奨励賞を受賞している。

日比野和雅


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