卯月妙子氏
[漫画家]
漫画界の最終兵器──今から10数年前「実録企画モノ」(太田出版)でデビューしたとき、卯月氏はそんな異名を取った。若くして結婚し、一児をもうけるも、夫の会社が倒産。借金返済のためにAV女優となり、排泄物やミミズを食べるなどの過激な行為を実践。そのラディカルで毒気に満ちた行いの描写でカルト人気を博した。しかし、それから10数年、持病である統合失調症の悪化により、卯月氏は漫画家としてはリタイア状態にあった。その卯月氏が2012年、「人間仮免中」(イースト・プレス)で突然、復活。25歳年上の恋人「ボビーさん」との愛情物語で多くの読者の感涙をしぼり、作品は10万部を超える大ヒットを記録した。そのあまりにも明瞭な作風の変化は、いったいなにに由来するのか──インタビューを敢行してみた。
聞き手:桐谷匠(D.culture編集部)
卯月さんは前夫を自殺によって亡くされている。漫画を描けなくなったのは必ずしもそれが原因ではないというが、その頃を機に統合失調症が大きく悪化したのは事実だ。卯月さんの病状は重い。「人間仮免中」にも描かれているが、服用していた向精神薬を医師に相談もせず減薬したこともあり、唐突に歩道橋から飛び降り、顔面崩壊/片目失明という憂き目にもあっている。そんな彼女の現在の暮らしぶりはどうだろうか?
卯月 現在、ツイッターで小学館に「卯月妙子【公式】人間仮免中つづきも発売中」というアカウントを設けてもらい、ツイッターで漫画を発表しているので、おいおいそこに描いていくと思うのですが、ある出来事があって一時的に病状が悪化したことはあったのですけど、今は落ち着いて暮らしています。ただ、症状というよりは(薬の)副作用が残ってしまって、流涎過多というのですけど、なにかの拍子にだらーっと涎が垂れてしまう副作用がありますね。
──「人間仮眼面中つづき」(小学館)のあとがきにありますが、今は健康で、安定した不安のない日々を送られているようですね。そこまで病が回復した要因はなんでしょう?
卯月 やっぱりボビーが粘り強く対応してくれたことでしょうね。ボビーの存在は大きい、環境の影響は大きいって思います。
──「人間仮免中」や「人間仮免中つづき」を拝読して思ったのですが、作風がずいぶん変りましたね。かつての強烈な毒気が薄れ、描かれている内容はシビアでも、良い意味で「緩く」なってきてるように感じます。その変化の原因はなんでしょう?
卯月 加齢と経験だと思います。あと、子供の成長も大きいですね。それと、自分がババアになった(笑)ということもあります。ただ、激しい陽性症状は出なくなっても、代わりに認知機能に障害が出てくるんですよ。いま、私は漫画は描けますけれど、事務的な作業をする能力はもうなくなっています。その辺はボビーがやってくれていますけど。
──その漫画すら描けない時期が10数年続いたわけですが。
卯月 漫画が描けなくなったきっかけは、前の旦那さんの自殺ではないのです。確かに、その頃から急激に病状が悪化してきて、直接的な原因は「新家族計画」という漫画を描いていて、それを断筆してしまったことですね。そこから入院生活がはじまり、陽性症状が強く出はじめて、漫画を描く能力がなくなってしまったのです。それで、舞台などの身体表現に向かったわけです。
「人間仮免中」には、歩道橋から飛び降りて顔面崩壊し、入院した救急病院で向精神薬の服用が許されず、結果、激しい陽性症状(妄想と幻覚)に苛まれる描写が延々と続く場面がある。筆者などはその描写のあまりの生々しさに胸苦しさを覚えるほどだったが、卯月氏の筆致にはどこか突き抜けたような明るさがあり、それが読者にとっての“救い”となっている。卯月氏のその明るさは、氏がどこかで自分の病を客観的に見ているからではないか──筆者にはそう思える。
卯月 私は保育園の頃から作品を創っているのですけど、自分を俯瞰で見るというのはその頃からの癖ですね。
──創作活動とその癖とはやはり関係があるわけですか?
卯月 ありますね。やはり客観性がないとものは創れないから。
──そうすると、表現を続けてこられたことは自分にとってやはり良かったことだと?
卯月 そう思います。つらいことを乗り越えていけたこともそうですし、それに作品作りは私にとって生きがいだったりするので。モノを描いたり身体表現をすることは私にとってはなくてはならないことなのです。
──話は変りますが、「人間仮免中」を拝読していていちばん泣けるのは、本編の最後に「生きてるって最高だ」というセリフが書かれていることです。いまでも、そう言い切ることはできますか?
卯月 できますね。
──それはやはりボビーさんとの暮らしが前提になっているということでしょうか?
卯月 もちろんそれもありますけど、子供の存在も大きいですね。子供の成長を見ているのがまぶしいというか、あの小さかった子が社会に出て右往左往しているのを遠くからみていると凄く心癒やされるところがあります。
さて、当サイトは「障害当事者とその家族のための」WEBマガジンだ。読者の中には障害を抱えて生きることにネガティブな向きも、逆にそれをポジティブにとらえて生きていらっしゃる方もいると思うが、卯月氏の場合はどうだろう?
卯月 私は元々、重度の発達障害を持って生まれてきて、統合失調症は二次的な発症なのです。ですから、生まれてこの方、正常だったことが一度もないのです。統合失調症の発症は十歳の頃なのですが、それから誤診につぐ誤診でしっちゃかめっちゃかなことがあったので、自分が障害者であることにある種の諦観がありますね。悪い意味の諦観ではなくて、「我は我、人は人」という考え方をしていて、最初から自分の障害を受け入れていればなにも怖いものはないと思います。「障害を持ったまま生きていくぞ」という覚悟がいちばん大事なのではないかと思います。
──ただ、なかなか「我は我、人は人」という境地には至れませんよね。どうしても自分を健常者と比べてしまったりして。
卯月 それは意味ないでしょう。健常者は健常者ですもの。まず自分ありきで自分の100%はどこかということを見極めて、その上で生活していかなければ暗くなるばかりじゃないですか。だから人と自分を比べないことが大事だと思うのです。
──ご自分の今後についてはどのようにお考えですか?
卯月 最近、なんとか家事ができるようになってきているので、もっとリハビリして生活することに困らない程度の家事ができるようになればいいと思っています。ボビーも私もこれから老いていきますからね。そのときに、介護などがゆるゆるできる状態になっていければいいなと思っています。
──ご高齢のボビーさんが先に逝かれてしまうことへの恐れはありますか?
卯月 毎日、「今日が最後かもしれない」と思って生きているので・・・。私たちはいま、北海道で暮らしていますが、ボビーの生まれ故郷がここなのですよ。だから彼の親戚なども集まれるし──人間関係的なことも含め、みんなに看取られるようにして「豊かな老後、豊かな死」を迎えるというのが目標なのです。こう、のんびりと暮らしていきたいですね。
──最後に、読者へのメッセージをお願いします。
卯月 私は統合失調症なので、それに関することしか喋れませんけど、やはりつらいときというのはあると思うのです。私も陽性症状が激しかった頃は殺伐としていて、診断書にも「人格の荒廃」と書かれたりしていました。ただ、あせらずのんびりとしていれば、いつか必ず落ち着く日が来ます。それと、死なないこと、死なない努力をすることですね。好奇心さえ失わなければ面白いことというのは日常の中にたくさん転がっていますから、そういうものに目を向けることが大事です。どんなに辛い状況でもどこかに抜け道があるのですよ。絶対に、どこかに楽しみを見つけることができます。どうか、生活を大事にされてください。
あと、認知機能障害が出て今後が不安だという方に向けてですけれど、年を取ってしまえば誰でもそういう状態になるわけですから、少し早く爺・婆になってしまった(笑)と思えばとくに焦ることはありません。たとえば事務能力がなくなったり金銭管理ができなくなっても、公的機関でそれらを援護してくれる制度がありますから、そういうことを調べて不安要素を一つひとつ潰していくといいと思います。私も認知機能障害がもう少し進んでしまったら認知症と同様の状態になると思うんですけど、「そうなったらここに入院して、公的機関のここを利用して入院費を回していこう」とか、一つずつしらべて不安要素を潰しています。そういう風にしていけば、大して心配なことはないのではないかと思います。
──どうもありがとうございました。
卯月妙子(うづき たえこ) 1971年、岩手県生まれ。20歳で結婚。しかしほどなく夫の会社が倒産し、借金返済のためにホステス、ストリップ嬢、AV女優として働く。過激なAVに出演し、カルト的人気を得る。その後、夫は自殺。幼少の頃から患っていた統合失調症が悪化し、自傷行為、殺人欲求などの症状のため入退院を繰り返しながらも、女優として舞台などで活動を続ける。自伝的漫画「実録企画モノ」「新家族計画」(いずれも太田出版)を出版し、漫画家としても活躍。2007年、歩道橋から投身自殺を図って顔面崩壊と片目を失明するという大けがを負うが、2012年、奇跡的な恢復を果たした顛末を描いた「人間仮免中」(イースト・プレス)を刊行。大きな反響と高い評価を得て、ベストセラーに。その他の著書に「人間仮免中つづき」(小学館)などがある。