「就職するなら明朗塾」に訊く
障害者リクルート最前線
先進諸国における障害者雇用の状況は、その国の障害年金政策と大きく関係してくる。すなわち、障害年金の水準が高い国では障害者の就労率は低く、水準が低い国では相対的に障害者の就労率が高くなる傾向がある。日本の場合はどうかというと、障害年金の額が英米などに比べて低く、その分、障害者の就職率は高くなっている。つまり、「障害者は就労できないから年金で暮らすべき」と考えるのではなく、「障害者もできるだけ就労すべき」と考えるのが、日本の障害者雇用政策の基本と言えるだろう(参考:「社会福祉学」平岡公一他、有斐閣)。
言い換えると、日本の障害者は英米などの障害者に比べ、就労を人生の大きなテーマとして考えざるを得ない状況に置かれているわけだ。では、実際に日本の障害者雇用(就労)をめぐる環境は、どのような変遷をみてきたのか。障害者の就労支援に特化した全国最大規模の福祉サービス事業所として、数々の実績を挙げている社会福祉法人・光明会「就職するなら明朗塾」のセンター長・山本樹氏と企業支援員の関幸太郎氏にお話しをうかがってみた。
障害者雇用には、「雇用率制度」というものがある。これは企業に対し、従業員数の一定割合を障害者雇用に当てることを義務付ける制度。日本はこの制度が世界的にみても成功している事例といわれている。雇用率制度は1960年の身体障害者雇用促進法(1987年に障害者雇用促進法に改称)で導入され、その後、1976年には雇用率未達成企業に対する納付金制度も導入された。そして、2002年には知的障害者や精神障害者の雇用支援事業としてのジョブコーチ制度がスタート、障害者雇用促進法における障害者の法定雇用率も引き上げられ、今、障害者雇用には“追い風”が吹いているといわれている。では、そうした状況の中で、障害者や企業の就労(雇用)に対する意識はどのように変化してきたのか。まず、その辺りを訊いてみた。
──現場で見ておられて、障害者側の就労への意識の変化というのはお感じになりますか?
山本 障害者──とくに知的障害者などはそうですが──というのは、歴史の中で権利を踏みにじられる体験を長らく重ねてきたわけです。したがって、働く権利に対する意識、マインドも抑制されざるを得なかった。働きたいのだけれど、それを口にしていいものなのかどうかわからない。授産施設のようなところではなく一般企業で働きたいという意志を持つ障害者であっても、最低賃金を割るような働き方であっても構わない、就職をお願いできるものならお願いしたい──そうしたマインドは長らく変わらなかったですね。
流れが変わったのは、障害者福祉制度が2003年の支援費制度の導入により、従来の「措置制度」から大きく転換したあたりからでしょうか。措置制度では行政がサービスの利用先や内容などを決めていましたが、支援費制度では障害のある方の自己決定に基づきサービスの利用ができるようになった。そうした中で、ある意味、施設の中に幽閉されてきた障害者の方々が一般社会に解放されるという流れができてきた。障害者の方々が就労にモチベーションを抱き、就職先を自分たちで選択するというマインドを持つようになったのは、その頃からだと思います。
──企業の側の障害者雇用に対する意識の変化はどうでしょうか?
山本 一連の法改正により企業に対する障害者雇用の義務付けが強まってきたということが前提としてありますが、大きなインパクトとなったのは2003年に空港で旅客サービス事業を展開するある会社が、法定雇用率を満たすだけの障害者雇用を行っていなかったということで、実名を公表された事件です。これを受けて、多くの企業が──表現は悪いですけど──法定雇用率を満たしていないと自分たちも実名を出されるのではないかと怖がるようになったという経緯がある。その辺から企業側の意識も法定雇用率は満たせないにしても、最低限、0%雇用は良くないという方向に変わっていく流れができたわけです。
──なるほど。企業が自発的に意識を変えたわけではないということでしょうか。それはともあれ、日本では障害年金の額が低いため、障害者は生計を立てていくためには働くか生活保護を受けるかしか選択肢がないのが実情。その辺については、どうお考えですか?
山本 基本的に、障害者年金がまずあって、そこに就労による賃金を足せば、生活保護水準より生活水準が高くなるという制度設計なのです。そこで問題になるのが、いま障害者の世界で生じている潮流。一つは、重度化が進んでいます。これは医療技術の発達により、かつてなら命を落とされていたかもしれない重度障害者が生き長らえることができるようになった結果です。そして、一方で進んでいるのが軽度障害者の増加。つまり、法整備が進んで各種福祉サービスが拡充してきたことにより、これまで福祉に包摂されることのなかった軽度の人たちが障害者の枠に入るようになってきた。すると、どういうことが起きるか。彼らは障害年金を受給できませんし、就労するといっても今の状況では短時間雇用か非正規雇用以外の選択肢は少ないのが現状です。障害年金も貰えず、非正規で働く──必然的に、生活水準は生活保護水準よりも低くなりますよね。そうした落とし穴に、多くの障害者が陥ってしまっているわけです。
今、非正規雇用の問題が提出されたが、筆者も一精神障害者として就労を企図していたとき、選択肢の大半が非正規雇用であることに唖然とした経験を持つ。賃金も多くは最低水準で、昇給・昇格も見込めない非正規でしか就労できない障害者の現状──この問題を、就職するなら明朗塾はどう見ているのか。
山本 私も、そこが現在の障害者雇用の最大のネックだと思っています。非正規雇用の問題、本当に「そこだけ」と言ってもいいぐらい(笑)。たとえば今、企業で正社員として働いている人に「仕事に満足していますか?」と尋ねると、多くの人が「やりがいを感じています」と答えると思います。では、「給料が今の3分の1になってもやりがいを感じますか」と重ねて問うてみたらどうなるでしょう。それでも「やりがいを感じる」と答える人はほとんどいないと思います。つまり、「やりがい」というのは生活の財源が安定しているという条件があってはじめて得ることのできる感情。その条件を欠いたまま、「仕事にやりがいを求めましょう」「仕事というのは人生で大切ですよ」と障害者を後押ししているのが、今の多くの障害者就労支援のやり方なわけです。結果、障害者に就労してもらったはいいけれど、実際には彼らの生活が成り立たっていかないという悲劇的な状況が生じてしまっている。
──それは、企業が障害者雇用を法定雇用率を満たすための“義務”としてしかとらえていないからではないでしょうか。しかし、働くというのは“権利”の問題です。そこがないがしろにされている気がします。
山本 繋がるかどうかわかりませんが、企業の存在意義について少し考えてみたいと思います。一つは、利益追求ですね。たとえばAならAという商品を買っていただくことで、お客様に幸せになっていただくこと。しかし同時に、企業にとっては従業員を幸せにすることも大きな目的であるはずです。この両輪が揃ってはじめて、企業のコーポレイトガバナンスというのは成り立つ。したがって、障害者雇用に関しても、障害者を労働力としてきちんと評価し、彼らが幸せになれる形で企業は責任を取るべきです。そのために必要なノウハウは──たとえば合理的配慮の問題など──私たちも企業にしっかりと提供していきます。同時に、障害者が幸せになれる形での雇用というものも、企業に求めていくことが大切だと考えています。
──しかし、企業のコーポレイトガバナンスにおいて、従業員を幸福にするという観点は薄いのが現状ですね。
山本 ですから、派遣のような感覚で障害者が使われてしまっている。われわれにも反省があるのです。かつては企業にそうした感覚を助長させてしまうような支援の仕方をしてきてしまった部分もある。
ただ、就職するなら明朗塾は、4~5年前から障害者の雇用開拓や就労支援のあり方をがらりと変えました。企業に「雇用率が~だから、後~人採用しましょう」、あるいは「障害者を~人採用すれば助成金がこれだけもらえますよ」と訴求していくのが今の障害者雇用の企業開拓のセオリーです。就職するなら明朗塾は、そのやり方を完全に卒業しました。
なぜなら、雇用率や助成金を餌に企業に障害者雇用を求めると、結果的に企業は障害者の「上澄み」の部分だけを採用することになるからです。あえてこういう言葉を使いますが、障害者雇用の法律を盾に、企業に本当は買いたくもない商品を買わせている──これが多くの障害者就労事業所が行っていることです。「これだけのクーポンを付けますから、この欠陥商品を買ってください」というわけです。すると企業は、欠陥商品の中から比較的出来のいいものを選ぶようになる。それは、極めて差別的な状況です。
就職するなら明朗塾は──当然のことですが──障害者を欠陥商品とはとらえていません。一人ひとりの障害者の残存機能であるとか、また得意分野を見極めたうえで、企業に障害者を正当な労働力として評価していただくことに意を注いでいます。まず、企業にチャンスを提供していただく。そして、実際に労働する中でその障害者の伸びしろを確認していただき、その部分を評価していただく。そのために、私どもは支援に入るわけです。実際、この方法を採るようになってから、就職するなら明朗塾の実績は飛躍的に伸びることになりました。
──障害者の側も、自らを欠陥商品と位置付けてはならないということですね。では、障害者が就職にあたって持つべき心構えとはどのようなものでしょう?
山本 それは福祉サービスを受けている方とそうでない方とで違ってくると思いますが、今は後者が多数派なので、その方々に向けて話しますと、障害があることを武器にして就職活動をしてしまうと、先にお話ししたような障害者雇用の罠に陥ってしまう可能性が高いと思います。「私は障害者です、私を雇用すれば~ポイントになります」「私を30時間働かせれば~ポイントになります」──そうした意識で就職活動に臨むと、今の障害者雇用施策に自ら乗っかってしまうことになる。それでは、自分の可能性を自ら狭めてしまいます。
そうではなく、他の求職者と同じように、自分の能力をしっかりとアピールし、そこを企業に評価していただくように努めるべきです。もちろん、障害者には企業に合理的配慮を施していただかなければならない部分もありますが、それは入社後のことです。入社するときには、まず「自分はこの会社でこういう風にしていきたいんだ」と、自分の可能性を訴求していくことが重要だと思います。
ここで筆者は、かすかな違和感を覚えた。筆者は就労を企図する一精神障害者として、障害者向けの企業合同面接会というものに参加したことがあった。企業に自らの著作物などを示し、自分の能力や可能性をアピールした。2社から、まったく同じことを言われた。「あなたは能力が高すぎるからウチでは採用できません」。つまり、いくら能力をアピールしても、その能力を活かすだけのキャリアパスが、障害者雇用という枠組みの中では用意されていないということだ。この辺りの問題を、どう考えるべきだろうか。
山本 海外に目を向けると、障害者でも健常者でも──もちろん、合理的配慮などの問題はありますが──労働者の能力は平等に評価するのがグローバルスタンダードになっています。しかし、日本の場合、合理的配慮を受けなければ就労できない人たちに対しては、一定の障害者雇用枠の中にしか能力を活かすフィールドが用意されていない例も少なくない。とくに重度の方たちに関してはそうですね。能力のある障害者が、企業の中で自らのキャリアパスを描きにくい状況にあるのは事実です。
関 ある企業の担当者にいわれたのですが、「障害者枠というのは、あくまでも障害者枠なのです」、と。ですから、将来のある若い人たちを採用するときに、すごく悩むそうです。可能性のある若い障害者であるにもかかわらず、あくまでも障害者枠の中でしか採用できない。すると、その枠を超えたところでは彼・彼女に活躍のフィールドを与えられない。これは、すごくおかしな話だと思います。
山本 言ってみれば、障害者雇用というのはアルバイト雇用と同じような感覚でとらえられているのですね。たとえキャリアアップしていける能力のある人でも、そもそもキャリアアップの路線が用意されていない。これも、さきほどの非正規雇用の問題と関係してきますが、障害者雇用施策の大きな問題の一つです。
──障害者が企業の中でキャリアパスを描けるようになるには、なにが必要なのでしょう?
山本 これには、われわれ支援者側の責任もあるのです。たとえば精神障害者の方々などに関し、企業に「彼ら・彼女らは少し難しい事例ですから、特別な配慮をお願いします」というような訴求の仕方をし、結果的に企業に「精神障害者は難しい」と刷り込ませてきてしまった歴史があるわけです。それは精神障害者の方々が福祉施策からはずれていたが故にですけど、そうしたことから彼ら・彼女らのスキルを評価するのではなく、彼ら・彼女らの障害の方を評価するように仕向けてしまった部分がある。大いに反省すべき点です。
現状、障害者が企業の中でキャリアパスを描けるようになるためには、たとえば当事者団体が働きかけても無理でしょう。われわれ支援者側の役割にも一定の限界がある。私が期待するのは経済団体ですね。企業が仲間内で「他の先進諸国に倣い、障害者のスキルを正当に評価して、これを業績向上に役立てましょう」というコンセンサスを築いていく──それを後押しするのがわれわれ支援者側の役割だと考えています。
インタビューが進むほどに、障害者雇用の難しさが浮き彫りになってくると感じた。では、その難しさをクリアするにはなにが必要なのか。そして、今後の障害者雇用は、どのような方向に進むべきなのだろうか。
山本 障害者雇用の難しさをクリアする上での最大のポイントは、やはり企業側の協力をどれだけ仰げるかでしょう。もう一つ、いま国際生活機能分類(ICF)では、障害に「医学的」「社会的」という両側面からアプローチすることが主流になってきています。医学的アプローチというのは、歩行困難などの医学的に判断される「できないこと」にフォーカスし、これをトレーニング(リハビリテーション)で改善していくことを目指すもの。いわば、障害者本人に対するアプローチです。
一方、社会的アプローチというのは、歩行が困難な人たちが活動しにくいのは、彼ら・彼女らに「できなくさせている社会」の側に原因があり、その社会的原因を改良していこうとするもの。つまり、障害者を取り巻く環境に対するアプローチといえます。日本では、後者の「社会的アプローチ」がまだ未成熟なのが現状。たとえば、障害者が就労する企業に対し、「合理的配慮とはこういうものですよ」「彼ら・彼女らのワークスタイルをこうしてください」「彼ら・彼女らの能力はこう評価すべきですよ」といった形でアプローチしていく──本人ではなく環境の方にアプローチしていく部分がまだまだ不足しているのです。その部分に支援者側がどれだけ入っていけるかが、今後の大きな課題になると思います。
しかし、もちろん、企業には企業の常識というものがあって、たとえば障害者雇用に関して言えば「障害者雇用などは安価に雇える労働力にすぎない」という常識がかつてあり、現在でも崩れていない。それは、企業のスタンダードですね。われわれ支援者の側もそれを真摯に受け止めるべきで、企業のスタンダードと障害者雇用をどう融合させていくか、どう折り合いをつけていくかが就職するなら明朗塾の一大テーマになっています。言葉を代えれば、企業経営のアイデンティティに障害者雇用をどう接ぎ木していくか──障害者雇用の難しさは、そこに尽きると思います。
──では、そうした難しさの中、障害者が就労を継続させていく上では、どのようなことを心がければ良いのでしょう。
関 現場のスタッフとして、これから就労しようとしている障害者によく言っているのが、「とにかく、仲間をつくれ」ということです。もちろん、企業は障害者雇用にあたって現場の人間を教育してはいるのでしょうが、そうした中でも、たとえば「作業が遅い」とか文句を言う人間がどうしても出てきてしまう。そんなとき、自分を理解してくれ、かばってくれる仲間を作ること──これが就労を継続させる上でいちばん大切な点だと私は思います。
山本 その通りですね。たとえば企業のリストラというのは、一般的には業績評価に応じて行われます。つまり、その人が自らのスキルによって業績向上にどれだけ貢献できたかによって、会社に在籍し続けることができるかどうかが決まる。しかし、最終的に、その会社に残れるか残れないかを決めるのは人間関係の部分、つまり人対人の部分なのです。いくらスキルを上げて業績向上に貢献したとしても、周りとの人間関係がきちんとつくれていなければ、やはりリストラの対象となってしまうし、それ以前に本人が居づらくなってしまうでしょう。とくに障害者の場合、いかに合理的配慮を施してもらってもカバーしきれない部分というのがどうしても出てきてしまいますし、スキルを上げることももちろん重要ですが、それ以上に本人が企業の中でどれだけの人間関係を築けるかが継続の最大のポイントになると思います。
──最後に、今後の障害者雇用はどのような方向に進むのか、あるいは進むべきかについてお聞きしたいと思います。
山本 「どうあるべきか」に関して申しますと、繰り返しになりますが、企業が法定雇用率を前提とした障害者雇用のあり方から脱すること──これに尽きると思います。その前提として、障害者が労働力として正当に評価される環境が醸成されなければならない。この場合の「労働力」には、業績評価に直結するスキルの面だけでなく、人間関係の構築能力なども含まれます。
私は、障害者雇用率制度というのはすでに一定の成果を挙げていると考えます。大手企業は大半がすでに雇用率をクリアしていますし、雇用率ベースではなく次の段階での障害者雇用を考えるべき時期にきていると思います。
一方、雇用率が達成されていない企業も50%程度あるわけですが、その8~9割は従業員100人規模以下の中小・零細企業です。これらの企業群は障害者雇用に着手するには企業体力が不足しているという問題を抱えている。「企業体力がないから障害者雇用はできません」──そうした企業側の意識は尊重すべきですが、やはり、ある程度の企業努力はしていただけなければならない。そこで、フォーカスすべきは、そうした企業群が一方では人手不足で悩んでもいるという事実です。ですから、われわれ支援者側としては、「まずトライアルという形でも障害者を雇用してみて、そこから彼ら・彼女らを労働力として評価できるかどうか試してみませんか」という方向でアプローチしていくことも考えるべきでしょう。
また、障害者雇用をより一般的なものとしていくためには、雇用実績などで一定の成果を収めている企業にスピーカー役を果たしていただくことも大切ではないかと考えています。
──どうもありがとうございました。