オリジナルにやる気、みなぎらせ
ユミズタキス氏
[ASD & ADHD Magazine TENTONTO編集長・発行人]
〜定めの型に非ず、世を忍びて世の法則を解する。これ即ち非定型忍法なり〜
その困難さ、ジグソーパズルの如し
さすらいの忍び、ユミズタキスです。前回お伝え致しました通り、発達障害の当事者の持つ『感覚のずれ』に起因する事柄について取り上げていきます。今回取り上げますのは何にやる気を出すか、つまり、モチベーションに関する感覚についてです。いきなり精神的な内容ですが、発達障害は精神障害であるからして、捉えどころの難しい形から始まるのも致し方ありませぬ。よろしければぎょっとせずお付き合いください。
さて、モチベーション、やる気のお話。やる気があれば何でもできるのかは定かでないですが、やる気は前向きに物事に取り組むために肝要なことは疑いない、と拙者は思います。もとより、知覚刺激に対して過敏や鈍麻があることでストレスを抱えやすい発達障害の当事者は、萎えぽよピーナッツは人並み以上に避けたいところ。しかし、当事者特有のやる気が出る感覚は、当事者でない方にはなかなか共感してもらうことが難しいのです。
一例として発達障害のうち自閉症スペクトラム障害(ASD)は、ジグソーパズルを好む傾向があるとされています。実は自閉症スペクトラム者支援のリボンは、カラフルなジグソーリボンであったりします。『自閉症スペクトラム入門−脳・心理から教育・治療までの最新知識』(中央法規出版、2011年)の著者で自閉症研究の第一人者であるサイモン・バロン=コーエンも、自閉症スペクトラム者はジグソーパズルが得意であることを挙げております。研究者が代表的な傾向として取り上げるほど、特徴的ということでしょう。
例えばカフェや呑み屋に行って、そこらじゅうがジグソーパズルの話題で盛り上がっていたら、それは不自然だ、フラッシュモブだと思われるはず。つまりそれだけジグソーパズルの趣味はマニアックということです。拙者も不定形にカットしてある難しいジグソーパズルを一夜で解いたことがありますが、女の子たちに見せても「キャーすごい」とはならず、どちらかというと宇宙人を見るような目を向けられた次第です。がっくし。
それは彼女らがジグソーパズル(と拙者)に興味がないということですが、同時にそれはジグソーパズルに対してやる気を出したことがないためとも言えます。共感できない存在の理解は面倒なことなので、警戒以上のことは基本的にはしないというのが世の定め。ジグソーパズルだけで考えれば笑い話ですが、ありとあらゆる事柄で同じような困難が生じると、日常生活においてコミュニケーションの障害としての性質が立ち現れてくること、想像していただけますでしょうか。
選べるファイティング・スピリット
やる気というものは、やりがいを感じることから生じます。ジグソーパズルの例も、ジグソーパズルにやりがいを感じるからこそ、やる気を出して打ち込めるわけです。では、やりがいの正体とは何でしょうか。拙者は、やりがいとは多種多様なファイティング・スピリットのことだと考えております。こう話をすると、「なんだなんだ、根性論を持ち出すのか」と思われるかもしれませぬ。たしかに根性も、数多くあるファイティング・スピリットのひとつ。ただし根性がその人に合うかは、その人のスピリット次第だと拙者は思っております。
ひとりひとりの感覚の違いに寄り添って考えてみると、ファイティング・スピリットにおいても感覚にあったものを選ぶ方がよいでしょう。やる気を出せなくなったとき、その人の感覚に合ったファイティング・スピリットを呼び覚ます何かが必要ではないか、という考えが拙者の中にあります。ジグソーパズルのせいで凹んでも、ジグソーパズルで凸れば万事解決。オリジナルにやる気をみなぎらせることができれば、最悪の事態を回避し続けられるのです。
ゲーマーである拙者のナード的な発想としては、やはりありとあらゆるジャンルの揃う娯楽、ゲームによる癒しと学びがその鍵になると自然に思い至ります。どんなマニアックな感覚を持っていても、つぶさに探せば絶妙にフィットするゲームが必ず見つかるでしょう。長く、深く遊ぶことのできるゲームは、それだけその人の脳構造の得意分野が活かされていて、その人に合ったファイティング・スピリットが呼び覚まされていると言えます。例えばジグソーパズルを深く極められるのであれば、観察力や推理力、根気といった類の力が混ざった、言うなれば刑事(デカ)のファイティング・スピリットを持っている、というような話です。
もちろん、ゲーム性──能力を突き詰められる優れたルールが存在する──があれば、スポーツであれ実際の仕事であれ気づきはあるものです。ただ、そういった優れたルールが数限りないバリエーションをもって存在するのがゲーム(特にコンピュータゲーム)の世界なので、利用しないのは勿体ない。単なる気晴らしという一側面から踏み込んでゲームをやりこんでみると、知能検査よりもずっと正確に、自分自身の感覚を捉えるための優れたヒントが得られる可能性があります。かく言う拙者もゲームを通して、他ではそう簡単に得られなかったであろう知見を得てきました。
共感の得にくいやる気を持つことがあり、そのやる気ゆえに別種の困難も抱えがちな発達障害の当事者。コミュニケーションの障害があるのだから、コミュニケーションで励まそうとしてもそれはそれで困難です。そういった場合、例えばゲームを本気で遊んでみよう、という一見不真面目に見える支援のあり方が、実は本人にとって沢山の気づきをもたらすものになり得るかもしれません。
ここまでお読みくださり、恐悦至極。では次回まで、さらば!
ユミズタキス ASD & ADHD Magazine TENTONTO編集長・発行人。発達障害当事者で、日本において各人の感覚の違いからデザインする〈センサリーデザイン〉による発達障害者支援の推進を考える。座右の銘は、ペンは棒手裏剣よりも強し。左利き。
発達障害(自閉スペクトラム)の者です。最近うつ症状を発症して仕事休んで療養中、これから頑張って治さなきゃ、でもうつと風邪でとりあえず休養するしかない、彼氏にも会えなくて悲しいなぁってなってました。でも今日この記事と出会えて良かったです。うつになって戻ってきた実家にはWi-Fi環境があるので、彼氏とネット上でいっしょにゲームができました。うつでも嬉しいことあるんやな、できることあるんやなって思いました。初めてのコメントなので拙いと思いますが、記事を読んでなんとなくこんな自分もありなんかなと嬉しい気分になったので、書きこみました。