人は役割を持つことで生きていく力を得ることが出来る

リリー・フランキー氏

[イラストレーター・俳優・作家]

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熊篠慶彦氏

[特定非営利活動法人ノアール理事長]

リリー・フランキー 熊篠慶彦

幼少期に脳性麻痺を患い、手足を思うように動かせず、車椅子生活を送っているクマ。障害者の性に対する理解を求めるべく積極的に活動を続ける彼と、不幸な生い立ちを持ち、人格障害を患う風俗嬢のミツ。二人の障害者の恋愛を時にリアルに、時にファンタジックに描いた映画が話題を呼んでいる。「パーフェクト・レボリューション」=“完全な革命”と題されたこの映画で主人公のクマを演じているのがイラストレーター・俳優・作家のリリー・フランキーさんだ。障害者=社会の片隅でひっそりと生きる聖人君子のような人々──世間に蔓延するそんなクリシェを180度ひっくり返す難しい役どころを見事に演じきったリリーさん、そして主人公クマのモデルとなった脳性麻痺の障害当事者・熊篠慶彦さんのお二人に、この映画に託した思いについてうかがってみた。

聞き手:桐谷匠(D.culture編集部) 写真:沼尻淳子

 

映画は身体障害者のセクシュアリティに関する支援を行う特定非営利活動法人ノアールの理事長を務める熊篠さんの実体験に基づいて制作された。実はリリーさんと熊篠さんは10年来の友人だという。そうした縁からリリーさんは今回、映画の主演を務められたわけだが、では、その目に映る熊篠さんの魅力とはどういうところか。また、彼の活動の意義をどうとらえていらっしゃるのか。まずは、そこからお訊きしてみた。

リリー 熊篠くんと友だちになったきっかけは、ある人に「障害者の性に関する活動をしている人です」と彼を紹介されたこと。それで、彼と話をしてみたところ、改めて気づかされることがたくさんあった。障害の種別や度合いはみなさん違うけれど、どういう障害を持っていても共通して言えることは、障害者といえども恋愛感情もあれば好きな人に触れたいという性的欲求も持っているということ。そういう当たり前の認識が健常者の間では乏しいのですね。だから、熊篠くんが矢面に立って活動しなければならなくなっている。大変だなあと思いました。で、それ以来、熊篠くんとの付き合いが続いているのは、彼がすごく誠実な人というか、真面目な紳士だから。これがもし嫌な奴だったら付き合わないけれど、彼は率直に言って良い奴だから10年付き合ってこれたわけです。障害のあるなしにかかわらず、人間関係ってそういうものじゃないですか。

──熊篠さんはご自身の活動の意義をどう位置づけていらっしゃるのですか?

熊篠 意義、ですか・・・・・・正直、そういうことはあまり考えない。僕はもっと単純に考えていて、最低限、自分が将来、困らないような地盤をつくりたいのです。たとえばいまの障害者というのは制度もシステムも整ってきていますから、セクシャルな事項に関すること以外ではあまり困らない。でも、セクシャルな事項に関しては困りごとが沢山あって、その状況を少しずつでも変えていきたい。だから、意義と意味とかを考えるぐらいなら、もっと別の現実味のあることを考えていたいというところでしょうか。

リリー だから「活動の意義とは?」とか抽象的なことを問われてしまうのは、熊篠くんの肩書になんとかの理事長とか活動家とか書いてあるからだよ。キミはもうあのプロフィールを変えなさい(笑)。熊篠くんの言っていることややっていることはもっとシンプルで、障害者といえどもセクシャルな感情を持っているということを伝えていくことなのです。で、制度というのは感情の後についてくるもので、その逆ではない。先に制度をつくるというのは不可能だと思う。制度といっても障害者が行ける風俗をつくろうとか、セクシャルボランティアの人を増やそうというのではないですよ。健常者だろうが障害者だろうが、たとえカネを持っていても風俗に行くことに抵抗のある人は当然いるわけで、ですからそれが出来たからといって問題が解決するわけではない。解決しなければならないのは、障害者も健常者と同様に、単純な人間の本能を持っているという問題なのです。恋愛感情だったり、性的欲求だったり。

熊篠 そう、こんな風にリリーさんをはじめ色々な人に助けてもらえるので、僕自信はあまり考えなくても済んでしまうということはあります。自分のやっていることの意義とか意味づけとかについてね。

リリーフランキー
熊篠慶彦

冒頭から絶妙なコンビネーションを見せるお二人だが、リリーさんにとってはクマを演じるにあたり、友人だからこそやりやすい部分もやりにくい部分もおありになったと思う。その辺はどうだろう?

リリー 今回に関しては、すごく演じやすかったです。これから俺がどういう芝居をやるかはわからないけれど、存命中の友だちが主人公の映画をやってくれというオファーは、たぶん、もうないと思います。だから何かの役柄を演じるときというのは、その役に対する知識は元々ゼロなのでいろいろ考えますけれど、今回はゼロからのスタートではないし、形態模写云々ということもありますけれど、それ以前にクマの考えていることや性格を知っているから、そういう意味では僕にとってはやりやすかった。

──熊篠さんはリリーさんの演技をご覧になっていかがでしたか?

熊篠 嬉しかったです。それと同時に、自分を客観的に見れたというか、完全に役に入り込んでいるときのリリーさんを見ていると、「ああ、自分ってこういう風にみられているんだな」ということがわかった気がして、少し不思議な気分もしました。

リリー たとえば、この手は熊篠くんにとってはまっすぐなわけです。でも、実際にはまっすぐではないんだ、一般的なカタチではないんだということを客観的に見れてしまう・・・・・・嫌なもんだと思いますよ。俺だって、自分がテレビのリモコンをつけるときとかモノを食っているときとかにビデオを回されて、後でそれを見せられたら嫌だもん。「ああ、俺ってこんな呑み方をしてるのか」って。

熊篠 そうですね。だから自分の声をテープに吹き込んで客観的に聞いたりすると、なんか変な感じがするじゃないですか。あれに似ている感じですかね。

さて、リリーさんは熊篠さんとの対談(注1)の末尾で、「(この映画は)やっぱり恋愛映画として観てもらうのが一番いいと思いますよ」と述べられている。その言葉には、いったいどのような思いが込められているのだろう。

リリー この映画は僕が全然知らないうちに5年ぐらい前から企画していたらしいのですけど、当初は熊篠くんのドキュメンタリーとして撮ることも検討されていたと聞いています。ただ、ドキュメンタリーとなると公開の手段も限られてくるし、おカネが集まるかどうかも怪しい。それに、類似したドキュメンタリー映画も少なくない。だったらいっそエンターティンメントの方に振り切ってみようということになったらしいのです。まあ、それでもこの映画は半分以上は熊篠くんの実体験に基づいていますけど、創作映画にする以上、たくさんの方に観て頂いた方がいいですからね。

でも、やっぱり「障害者の恋愛と性がテーマです」と短く括られてしまうと、観る側が構えてしまうというか、「知識がないとわからないんじゃないか」と思われてしまいがち。ですから、まず知識がないと云々というバリアを取り払ってもらわないと観てもらえないと思うのです。そこで──これは、ほぼ実話に基づいていますけど──たまたま主人公が脳性麻痺であり、ヒロインが人格障害であるエンターティンメント=恋愛映画という方向でいくということを熊篠くんやプロデューサーたちが決めたわけです。だから、僕はそれに沿っていったという感じかな。

熊篠 僕もドキュメンタリーにせよ創作映画にせよ、まじめくさったような映画を観たいかというと、なんか「もういいよ」という思いはありましたね。

リリー ですから障害者の映画を撮っている人たちというのはドキュメンタリーの中でも嘘をつくわけです。だったらもういっそ嘘の中に本当のことを入れた方がいい。本物めいたものほどちょっと怪しいし、限界もありますからね。

──映画の中でもありましたね。クマのドキュメンタリーを撮りに来たテレビ局のクルーが、ミツが風俗嬢であることを隠蔽したがるとか。

リリー 実際に熊篠くんがああいう取材を受けていたのは事実なのです。それを映画の中で表現すると、取材者側がすごい悪者として登場することになりがち。でも実際は、あの人たちも悪意を持っているわけではないのです。善意の中の悪意といいますか、自分の額縁の中でしかモノゴトを伝えられないのですね。

熊篠 そうですね。だから悪意はないのですよ。悪意がないからこそタチが悪いというか。

障害者といえども健常者と同様に恋愛感情も性的欲求も持っている──深く考えるまでもなく、当たり前の話である。しかし、実社会ではなぜかその当たり前が隠蔽され、障害者=「名もなく貧しく美しく」生きている清らかな人々というクリシェが蔓延するという不思議な事態が起きている。この障害者の“聖人君子化”は、いったい、なぜ起こるのだろう。

リリー その問題に関しては、俺も熊篠くんもこの映画を制作したり、こうして取材を受けさせてもらうことで、昔よりも言語化できるようになってきているのです。一つには健常者が車椅子の障害者をみるとき、単純に「チンポ勃たないんだろうな」とか見られがちですが、チンポが勃たなくても風俗に通っているおっさんとか山ほどいるじゃないですか。でも、障害者はそうしたこととは切り離して考えられてしまう。ある意味、車椅子の人が無性化されているというか。

それともう一つ、これはとくに日本に強い傾向ですけど、障害者は国から援助を受けている立場の人たちという見方をされてしまう。そういう人たちが「恋をしたいとかセックスをしたいとか言いなさんな」みたいなね。日本の奥ゆかしさを求める文化が、障害者に勝手な障害者“らしさ”を付与してしまっているということはある。

──恋やセックスは贅沢品だと思われているんでしょうかね。

リリー そういう見方をする人もいると思います。自力で立つことにもモノを取ることにも苦労している人たちなんだから、恋やセックスじゃなくてそれ以前のことで頑張らなきゃと思っている人たちがたぶん、いるんですよ。そういうことを言い出しそうな人って自分の周りにもたくさんいます。だから、障害者はその人たちが決めた“らしさ”の中で生きていかなければならなくなる。

熊篠 一つの役割を演じるというか、夏の黄色いTシャツを着た番組みたいな障害者を演じる方がモノゴトが円滑に運んでいくのです。僕みたいにセクシャルなことに関する活動をしていると、どうしても問題行動にされてしまう。黄色いTシャツ的な障害者を演じていた方がウケがいいというか、話がスムーズに運ぶのですね。

リリー この間もNHKの「クローズアップ現代」という番組に出演させていただいたときに、介護の現場のVTRを見せていただいたのですが、福祉施設の理事長が入所している障害者たちの性欲処理のためにTENGAのような性具を導入しようとして、その是非を職員に問うわけです。すると、基本的に女性職員たちは「私は手伝うことができません」と言う。いや、そうじゃないだろう、と。誰も性の介助をしてあげてほしいなんて言っていないわけです。だから、その辺、話がすっ飛んでしまうのです。そりゃあ、誰だって嫌ですよ。たとえば看護婦さんだって、盲腸の手術前の患者さんに剃毛してあげているときに、その患者さんが反応して勃起したとしても、「シコって差し上げます」とはならないでしょう(笑)。「シコるのはご自分でなさってください」っていう話ですよね。

熊篠 だから途中がすっ飛ばされちゃうんですよね。中間がない。たとえば食事介助なんかでも一緒なんですけど、僕は自力で食べられないから食事介助してくれと言っているだけ。なにも「あなたと一緒にご飯を食べたい」などとは言っていないし、ましてや口移しで食べさせてくれなんて一言も言っていない。だけど、なぜかわからないけどそっちの方に一足飛びに行ってしまう。なぜ中間がなくなってしまうのか、僕にはわからない。

リリー だから、これは熊篠くんに限らずですけど、介助してもらう立場の人にはやっぱり「してもらっている」という意識が当然、あると思うのです。一方、介助する側もどこかで「してあげている」と思っている。お互いがそういう意識を持つ中で、能動的な発言がしにくくなっている。規範的とされている言葉の取り交わし方以外のことをお互いに言いにくいから、介助する側とされる側の間で本当の意味のコミュニケーションが成立しにくいのです。

でも、その本当の意味でのコミュニケーションって実現するのかなと思うと、いまの介助の現場ではむずかしいと思う。制度的になんとかしようと思ったら、カウンセリングのできる人たちというか、話を聞くことができる人たちを入れるしかない。その人たちが仲立ちとなって、熊篠くんの言う“中間”を介助する側/される側の間で見いだしていくしかないと思います。

お二人のお話をうかがえばうかがうほど、障害者をめぐる状況の難しさ・デリケートさが浮き彫りになる気がした。ところで、D.cultureは「障害当事者とその家族」のためのwebマガジンだ。最後に、この映画を通じてお二人が障害当事者とその家族に向けて一番伝えたいことをお訊きしてみた。

リリー クマの法事で親戚みんなが集まるシーン(注2)もそうですけど、ご家庭の中に障害者がいるいないに関わらず、法事ってああいう面倒くさい場所じゃないですか。一年に一回しか会わないおじさんたちが好き勝手なことを言って──そういう責任ある立場の人の無責任な発言というのが一番、当事者を傷つける。そして、ご家族の中に障害のある人がいると、親御さんたちにはやっぱり大変な労力がかかるし、心労もハンパではない。その辺、この映画はすごくリアルに描かれていると思います。

だけど、これまでの障害を扱った作品ってリアリティを追求したつもりがかえってリアリティから遠ざかる傾向があるので、この映画はちょっと楽しいモノにしたわけです。で、僕がこの映画を恋愛映画として観てほしいというのは、ずっと介助を必要としていたクマがココロを病んでいる彼女のココロを介助をしようとすることで強くなっていく過程を丁寧に描いているから。やっぱり人って何かの役割を持つことで生きていく力を得る存在だと思うのです。

熊篠 僕はプロデューサーが同席してるのでアレなんですけど(笑)、当事者の方々にこの映画を観ることを口実にして外に出るきっかけを得てもらえたらと思うのです。僕も当事者だから、出かけるための準備や出かけた後のストレスなんかについてはよくわかるのです。だからこそ、この映画を観ることを口実にしてもいいから、外に出てほしいと思う。外に出たところで気が変ってスポーツ観戦に行くとなっても、それはそれでいいです。本当に、腹の底からそういう風に思いますよ。

リリー この映画はあくまでも熊篠くんをモデルとした映画であって、すべての障害者の気持ちを代弁したものではない。一口に障害者といっても種別も違えば度合いも一人ひとり違いますから。でも、この映画ができたことで、まあ、この映画、ヒットすることはないかもしれないけど(笑)、こうして取材を受けて障害者について話す機会をたくさん得ることができたことは大きな収穫です。それだけで、俺と熊篠くんの中では万事OK。たとえ、人が入らなかったとしてもね(笑)。

リリーさんや熊篠さんの思いはともかく、D.cultureはこの映画のヒットを願う。なぜなら、この映画は日本ではじめて等身大の障害者像を提示した映画であるからだ。クマは旺盛な性欲をもてあますスケベな男であり、ミツはピュアではあるものの“激痛”の女の子だ。そんな二人が大暴れする「パーフェクト・レボリューション」をD.cultureは強く推す。この映画は二人の障害者の奔放な“性春”を描いた極上のエンターティンメント作品である。

 
リリー・フランキー/熊篠慶彦


注1:「パーフェクト・レボリューション」公式HP(http://perfect-revolution.jp/)より。
注2:クマの法事で彼の親戚に結婚を反対されたミツが、大暴れしてしまうシーン。


リリー・フランキー
1963年11月4日生まれ、福岡県出身。
武蔵野美術大学卒。イラストやデザインの他、文筆、写真、作詞・作曲、俳優など、多方面で活躍するマルチタレント。

熊篠慶彦
1969年、神奈川県生まれ。特定非営利活動法人ノアール理事長。
出生時より脳性麻痺による痙性麻痺がある。医療、介護、風俗産業など、さまざまな現場で障害者の性的幸福追求権が無視されている現状に突き当たり、ノアールの活動を通して身体障害者のセクシュアリティに関する支援、啓発、情報発信、イベント・勉強会などを行っている


「パーフェクト・レボリューション」
幼少期に脳性麻痺を患い、車椅子生活を送る主人公のクマは、旺盛な性欲を持つセックス大好き人間で、身体障害者のセクシャリティへの理解を世に広める活動を積極的に行っている。そんな彼の講演を聴き、勇気づけられた精神を病む美少女ミツは、クマに猛烈なアピールを開始。「完全な革命」を目指した二人の恋の冒険がはじまるが・・・・・・。

●監督・脚本:松本准平●企画・原案:熊篠慶彦●出演:リリー・フランキー、清野菜名、小池栄子、岡山天音、余貴美子ほか ●制作・配給:東北新社 ●9月29日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほかにて全国ロードショー中。

パーフェクト・レボリューション

 

パーフェクト・レボリューション
©2017「パーフェクト・レボリューション」制作委員会



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