地域活動支援センター相談員の犯罪的失敗──福祉職員の“あり方”を考える

電話する女性

「本当に自殺する人間は黙って消えていく」の嘘

地域活動支援センターという組織がある。各地域に暮らす精神障害者の福祉とQOL(quality of life=生活の質)の向上を目指す組織で、各政令都市に設置が義務付けられている。その地域活動支援センター(以下、地活と略)の事業の重要な柱の一つに相談事業がある。地域に暮らす精神障害者のさまざまな相談に主に電話で応えるもので、専門の訓練を受けた相談員が対応する(ことになっている)。

そこに寄せられる利用者の相談内容はさまざままだ。中でも深刻なもののひとつは、希死念慮に襲われた利用者からの相談。
希死念慮というと、一般に「死にたい願望」などと評され、(本当は死ぬ気もないくせに)周囲の関心を引きたいあまりの甘えのSOSと解される場合もままある。

しかし、本物の希死念慮というのは半ば生理的欲求に近く、理性では抑えがたいものである。これに対処するには、きわめて高度な専門性が求められる。世間には、「本当に自殺する人間は周囲に自殺願望など漏らさないものだ」「“死ぬ” “死ぬ”とわめく人間に本当に死んだ人間はいない」などという意見がある。だが、それは嘘だ。希死念慮に襲われた人間は荒れ狂う死の欲動に全身を侵され、それと「生きねばならぬ」という本能の間でギリギリの綱引きを演じており、そこから辛うじて漏れるのが「死にたい」という言葉なのだ。

さて、ここにBさんという統合失調症患者がいる。彼にとって希死念慮は主要症状の一つだ。だが、それを訴える機関などここ日本では皆無に等しい(「命の電話」? 繋がったことありますか?)。

彼はたまたま数年前、その地活の存在を知り、医師の診断書を貰い受けた上で保健師の紹介を受け、その地活のメンバーになった。さっそく、Bさんはその地活に電話をかけはじめた。何人かいる相談員に希死念慮を訴えた。きわめて事務的に対応する人もいた。それはそれでよい。Bさんにとってはとにかく「話を聞いてもらう」ことが優先順位の第一だったのだから。

だが、Fさんという相談員は違った。彼女はBさんの話に全身的な共感を示し、きわめて情緒的な言葉でBさんを慰めた。それはBさんの心を優しく慰撫したが、そこには、ある陥穽があった。つまり、BさんがFさんに心理的に依存してしまうという落とし穴である。
Fさんは臨床心理士ということだが、大学院でなにを学んだのだろう。依存の危険性を留保したままBさんとFさんの生と死をめぐるぎりぎりの対話は長年にわたって続いた。Fさんは一貫してBさんに優しく、献身的ですらあった。そんな中で、BさんにとってFさんはかけがえのない心の拠り所となっていった。そして、事件は起こった。

これからは地活の相談員としてあなたの相談を受けます

その日、Bさんは強烈な希死念慮に襲われ、地活に電話をかけた。すでに彼はOD(overdose=処方薬物の過剰摂取)をしていた。
それを知ったFさんはBさんの主治医に電話をかけ、彼の指示で85歳になるBさんの母親に状況説明の電話をかけた。高齢の老母に事情を説明したとしても、うろたえるばかりで具体的な手立てなど打てるはずがない。典型的な「お役所仕事」であり、Bさんは激しく苛立った。Fさんとの激しい言葉のやり取りがあった。
その中で、Bさんはいわずもがなのことを言ってしまった。「あなたには一相談員としてでなく、友達や彼女にSOSを訴えるつもりで電話していたのに」。この言葉が決定的となった。

その言葉を聞き、Fさんは「反省」したのだそうだ。つまり、一相談員としての範疇を越え、Bさんに対応してしまっていたという「反省」である。

その日から、Bさんに対するFさんの態度は変わった。「これからは○○○○(地活の名称)の一相談員としてBさんの相談を受けます」と宣言し、Bさんの命がけの訴えに情緒的反応を示すことはなくなり、きわめてそっけない言葉でBさんに対応するようになった。Bさんにしてみれば、いわばいきなり「梯子をはずされ」たようなもので、彼は完全に心の拠り所を失ってしまった。だが、そんなBさんの心境など、Fさんにとっては考慮の外であるらしい。

FさんのBさんに対する根本的な態度変化をどう見るべきだろう。筆者は、Bさんの心境を考慮するならば、FさんはBさんに情緒的な対応を続けるしかもはやないのだと考える。それが持続できないことがはじめからわかっていたのなら、ほかの相談員のように最初から事務的な対応に終始すべきだっただろう。
そうしたBさんの立場を熟慮した上での「反省」は、Fさんにはまるでないらしい。Fさんは相談員としてあまりに未熟だった。精神疾患に悩まされた上、心理的依存を一気に断ち切られ、いきなり「梯子をはずされてしまった」Bさんの自殺の日は近い。Fさんはしれっとして相談員を続けている。

この物語から、読者はどのような教訓を読み取られるだろう。BさんがFさんに甘えすぎたという考え方ももちろんあると思う。
ただ、一つだけ言えることは、精神障害者を相手取る公共機関──わけても地域活動支援センターのような「精神障害者に寄り添う」ことをモットーとする機関は、冷静かつ的確に利用者のニーズを満たせるような、熟練の相談員(職員)をきちっと配置すべきだということである。

利用者にいたずらな依存を起こさせないように十分に配慮しつつ、彼ら・彼女らのニーズをくみ取り、適格な措置を講じられるような練達の相談員が精神障害者には不可欠なのだ。もっとも、これは学校を出たてのPSW(精神保健福祉士)が相談員を務めるような状況が常態化している中では、無いものねだりにすぎないのかもしれないが。


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