私が障害とうまく向き合えるようになるために大切だったこと(全3回)

第1回 障害と向き合えなかった日々

黒木 啓(仮名)

[会社員]

双極性障害

黒木 啓(くろぎひらく:30歳)さんは10代の頃に双極性障害を発症。以来、この病との壮絶な戦いを繰り広げてきた。その中で学んだことや感じたことなど――貴重な体験の記録を短期集中連載でお届けします。

 

はじめに

 

 「ひらくって“うつ”って感じじゃないよね」。これは大学時代から何度となく言われてきた言葉です。精神科にかかり始めた当初の診断は「うつ病」でした。しかしその後何度も躁状態を経験し、「双極性障害(Ⅱ型)」に診断名は落ち着きました。大学時代の友人は、躁状態のもしくはフラットな状態の私を知っていたためその言葉を私に投げたのでしょう。よく言われるように、双極性障害の方は躁状態のときには自分が不調だと気付きません。鬱状態になってはじめて受診した私を医師が「うつ病」と診断したのは無理のないことです。
自己紹介が遅れましたが、私は双極性障害(Ⅱ型)を抱えて生活する30代です。10代での発症から現在に至るまでを振り返りながら一当事者の体験を語ることで、同じ障害者の方々が障害と付き合う際に、参考にしていただけたらと思っています。

 

ストレスの多い高校時代

 

振り返ると、高校生のときから調子が思わしくなく、苦しい数年間を過ごしたのち、大学時代にはじめて医療機関を受診しました。私が通っていた高校は地方の進学校でした。大学受験を焦点に、普通の授業の前後に朝早くから朝課外が、夕方には夕課外が行われ、課題も多く出される学校でした。幼い頃から読書が好きで、高校受験までは特に苦労することなくパスした私も、高校ではある程度、特に受験前は必死で勉強せざるを得ませんでした。しかし高校生は、見た目は大人でも中身は未熟で多感な頃。私も異性との関係や親子関係、友人関係など人付き合いで多くのそして本人にとっては深刻な悩みを抱え、ストレスの多い毎日を送っていました。

 

愛に飢え、孤独感や人に嫌われることへの恐怖に支配されていた10年間

 

 その頃から10数年ほど私を支配していたのは、孤独感と人に嫌われることへの恐怖でした。当時、私は愛に飢えていたのだと思います。両親の、特に父親からの愛情を求め、私を愛しているものの器用ではなかった父の私に対する態度に傷つき、自分に自信を持てずにいました。両親から思うように得られなかった愛情を当時お付き合いしていた男性に求めようとし、関係がうまくいかなくなり破局。それも上手に終わらせることができず、そのことから数年間は劣等感と罪悪感に苛まれる日々でした。常に空虚で苦しく、寂しくて生きるのが毎日苦しかった。それはすべて、私が自分自身の感情や身の回りに起きていることを処理しきれずにいたことが原因だと、今は思います。

 

躁状態で乗り切った大学受験

 

 今思えば、大学受験は躁状態で乗り切ったのだと思います。受験直前には、5分刻みで勉強時間を図り、授業時間のほかに何時間も勉強していました。小食で、母が作ってくれたお昼のお弁当にはほとんど手をつけず持ち帰る日々でした。この頃から、夜なかなか寝つけず朝うまく起きられずに遅刻することが時々あり、睡眠障害が始まっていました。

 

劣等感に苛まれた大学時代

 

 大学生の頃は、とにかく周りの人がすごく見え、自分と比べて落ち込むことを繰り返していました。自分に自信がなく、劣等感でいっぱいでした。不安感が強く、常に苦しくて、死にたいと思うことも少なくありませんでした。この頃、まだ自分が障害者だという自覚がなく、病院で双極性障害だと診断されてもそれを受け止めきれずに服薬もせず、調子を悪くしては病院にかかることを繰り返していました。障害から逃げていたのだと思います。自分で自分のことが分かっていず、躁状態のときに予定を詰め込んでは鬱に転じてその予定を消化しきれず、自信を喪失することを繰り返していました。自分で自分を傷つけ、大切な人を大切にできないことも一度や二度ではありませんでした。大学は、休学や留年を経て、教授の助けを得てなんとか卒業させてもらいました。

 

自殺未遂、そして見えた希望

 

 大学6回生の頃、恋人に振られた私は何度目かの自殺未遂を行いました。大学の救急救命室に運ばれた私は、そこで処置を受け、回復するまでそこで過ごしました。そこで見たものは、私より重篤な精神障害の患者と、懸命に働く医療スタッフでした。このまま私が絶望して自殺未遂を繰り返せば、この患者のようになっていくのだという深い恐怖感を感じたことと、懸命に動き回るスタッフが輝いて見えたことを今でも強烈に覚えています。「ああ、人間は動いていないと死ぬのだな」とまだ回復しきらないぼんやりした頭で私は思いました。自殺未遂をしたのはそのときが最後、とは言えないのが残念なのですが、このときから数年間、私が自殺を実行に移すことはありませんでした。そのときの自分にできることを少しずつしてきて今に至っています。人間は絶望の淵まで行けば、希望を見出すのかもしれません。

 

はじめての就職、再び挫折

 

 当時の私はとにかく自分に自信がありませんでした。だから、就職活動をする前から、こんな私を採用してくれる企業は絶対にない、と思い込んでいました。一方で自尊心が高く、人から下に見られたり認められなかったりすることを極端に恐れていました。そんな私が最終的に選んだ就職先は、大阪の大型書店で契約社員として働くことでした。大好きな本に携われること、たとえ契約社員でも大きな企業の社員として働けることなどが選んだ理由でした。とても浅い仕事観だな、と今になっては思います。大学を卒業した春から働き始めたものの、人間関係がうまくいかず、思った以上に日々の生活が苦しくて、鬱に転じたためか通勤電車を途中下車して行けなくなってしまい、そのまま退社し帰郷することになりました。


黒木啓
黒木 啓(くろぎひらく:仮名)、30歳。
地方在住会社員。10代の頃にうつ病を発症。
20代の頃に双極性障害Ⅱ型と診断される。
1児の母。自身の体験を書くことで
悩みを抱える人たちとつながりたいと考えている。

 


 


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